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内容目次 |
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序文 (佐々木裕之) |
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●第1章 エピジェネティクスの基礎 |
1. |
DNAのメチル化
(末武 勲) |
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シトシンの 5位がメチル化されるDNA のメチル化は,発生過程やがんなどの疾患に深く関与する。DNA をメチル化する酵素であるDNA メチルトランスフェラーゼ(Dnmt)には,新しくメチル化修飾を導入する型と,いったん形成されたメチル化模様を細胞分裂や修復の過程で維持する型の 2種類の酵素がある。どちらの酵素も生体にとって重要であることがわかっている。DNA メチル化のゲノムでの分布,Dnmt の酵素学的性質,構造について解説する。
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2. |
ヒストンの脱メチル化とその機能
(立花 誠) |
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ヒストンの化学修飾は,遺伝子発現の制御などのエピジェネティックな現象に深く関わっている。2000年にヒストンのメチル化酵素が発見されたが,その当時は脱メチル化酵素は存在せず,メチル化ヒストンは複製による希釈で消失しているのではないかと予測された。しかしこれに反し,2004年にLSD1 という分子の脱メチル化酵素活性が報告された。以来およそ 10年が経つが,その間に続々と新たなヒストン脱メチル化酵素が同定され,その機能が明らかになりつつある。本稿では,これまでに同定されたヒストン脱メチル化酵素のうちで,特に研究が進んだ分子や疾病との関連が明らかになっている分子などに焦点を当てて,その機能を概説する。
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3. |
ポリコーム群による遺伝子抑制とエピジェネティック治療への貢献
(磯野協一) |
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われわれの生涯は発生,成長,安定,そして老化を辿る。その時々のダイナミズムやホメオスタシスは自己複製能と多能性をもつごくわずかな細胞集団 「幹細胞」 によるところが大きい。近年では,腫瘍も幹細胞様の細胞集団の土台があるとされている。がん性幹細胞と正常幹細胞のエピジェネティクスの類似性は共通メカニズムの介在を強く示唆している。ポリコーム群はこの共通メカニズムの中心として働き,良くも悪くも細胞運命を決定している。この機能はエピジェネティック治療の発展に期待されている。
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4. |
ノンコーディングRNAとエピジェネティクス
(坂口武久・佐渡 敬) |
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様々な生物種で,ゲノムの広範な領域からタンパク質をコードしないノンコーディングRNA(ncRNA)が転写されていることが知られるようになって久しい。これらのncRNA のうち小分子RNA に分類されるsiRNA,miRNA,およびpiRNA については各々の機能や作用機序,生合成経路ついての理解が急速に進んでいるのに対し,長鎖ncRNA(lncRNA)については共通の特徴もほとんどなく,その機能も多岐にわたると考えられるため機能解析はあまり進んでいない。しかしながら,クロマチンと相互作用する一部のlncRNA については遺伝子発現制御に重要な役割を果たしていることがわかってきている。本稿では,主に哺乳類エピジェネティクスにおける小分子RNA やlncRNA の役割について紹介する。
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5. |
エピゲノム解析法
(油谷浩幸) |
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エピゲノム情報は 「細胞レベルの記憶」 であり,細胞分化やリプログラミング現象の理解において不可欠である。ヒドロキシメチルシトシンなどの新たな標識の存在が報告される一方,次世代シーケンサーの利用によってエピゲノム標識の分布を網羅的かつ定量的に解析可能となったことから,ゲノム機能の理解が進むことが期待されている。本稿ではエピゲノム解析の現状を紹介する。
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6. |
国際ヒトエピゲノムコンソーシアム
(牛島俊和・服部奈緒子・波羅 仁) |
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膨大なエピゲノム情報の解析を加速し,速やかに各種の疾患・幹細胞・生命科学研究につなげていくためには,国際協調により分担・効率化を図ることが必要である。そのためにエピゲノム解析の専門家が議論を重ねてきた結果,国際ヒトエピゲノムコンソーシアム(International Human Epigenome Consortium : IHEC)が発足した。現在,米国,EU,イタリア,韓国,ドイツ,カナダ,日本(科学技術振興機構CREST の 3チーム)が参加している。IHEC では,解析する細胞・組織を分担し,解析技術を標準化し,データを統合的に公開し,さらにはアウトリーチ活動や若手研究者の育成も行うことをめざしている。
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●第2章 エピジェネティクスと病気
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1.がん |
1) |
胃がん
(秋山好光) |
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胃がんの発症・進展において遺伝子のエピジェネティックな変化が重要な役割を果たしていることが明らかになってきた。これまでの研究で,DNA メチル化,ヒストン修飾,クロマチン制御因子の異常や機能性RNA の発現異常が多くの胃がんで見つかっている。次世代シーケンサーの登場により,近年のエピジェネティクス研究は目覚ましく発展し,ゲノムレベルでの解析が進んでいる。臨床面では,DNA メチル化異常は胃がん診断のみならず,予後予測因子や抗がん剤感受性予測因子としての新規バイオマーカーになる可能性が期待されている。
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2) |
肝細胞がん
(新井恵吏・金井弥栄) |
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肝炎ウイルスの持続感染と慢性炎症を背景とする肝細胞がんの発生は,エピジェネティクス異常が前がん段階から寄与する多段階発がん過程の典型例である。肝細胞がんにおいて,がん関連遺伝子のサイレンシング,DNA メチル化酵素の発現・スプライス異常,ヒストン修飾酵素の発現異常などが報告されている。ゲノム網羅的解析結果に基づく慢性肝炎・肝硬変症患者における発がんリスク診断の実用化が望まれる。国際ヒトエピゲノムコンソーシアムの成果が,肝細胞がんの予防・診断・治療の革新をめざした研究に資することが期待される。
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3) |
脳腫瘍の発生に関わるエピジェネティクス異常
(大岡史治・近藤 豊) |
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近年,グリオーマにおいてDNA メチル化異常,ヒストン修飾異常などのエピジェネティクス異常が多数解析され注目を浴びている。グリオーマは多彩な遺伝子異常やエピジェネティクス異常を示し,浸潤能や組織多様性といった治療抵抗性に関わる特性にエピジェネティクス機構が重要な役割を果たしていることがわかってきた。有効なグリオーマの治療薬の開発には,腫瘍の特性に寄与するエピジェネティクスを把握し,その異常を標的とする新規治療戦略の開発が必要である。最近の知見を紹介し,今後の治療への展望について考察する。
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4) |
血液腫瘍
(大木康弘) |
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造血器悪性腫瘍のエピジェネティック異常の背景に,それを制御する遺伝子のジェネティックな異常が高頻度に認められることがわかってきた。骨髄異形成症候群(MDS)や急性骨髄性白血病(AML)におけるASXL1,DNMT3A,EZH2,IDH1,IDH2,TET2 の遺伝子変異,そしてリンパ腫におけるEZH2,CREBBP,EP300,TET2,IDH2 の遺伝子変異などが代表的なものである。また,エピジェネティック治療薬として,azacitidine,decitabine,vorinostat,romidepsin が臨床使用されており,これらの単剤および併用療法の研究が必要である。
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5) |
乳がんのエピゲノム異常と診断・治療への応用
(藤原沙織・冨田さおり・中尾光善) |
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乳がんは,女性の部位別罹患率の第 1 位を占めるがんである。乳がんには組織内の異質性(heterogeneity)が知られており,これが完治をめざすうえで大きな障壁の
1つと考えられている。近年,乳がんの発生機序には,ゲノム配列の変化だけでなく,DNA
メチル化やヒストン修飾の異常というエピゲノムの変化が重要であることがわかってきた。このため,抗腫瘍効果を示すエピジェネティックな薬剤が開発されてきた。乳がんのエピジェネティック制御異常の解明は,新しい診断や治療法の開発につながると期待できる。
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6) |
がんと細胞老化
(金田篤志) |
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細胞老化とは細胞が有限回数分裂した後に至る不可逆な増殖停止状態のことである。がん遺伝子が活性化すると同様の増殖停止に至るが,これを早期細胞老化と呼び,がんを防御する機構の 1つである。ポリコーム複合体によるINK4A-ARF 領域の発現抑制の解除や,ヒト線維芽細胞においてみられるヘテロクロマチン領域の凝集SAHF など,細胞老化にはエピジェネティック機構が関与し,ヒストン修飾酵素の異常は細胞老化の回避とがん化に関わりうる。ここでは,がんと細胞老化をエピジェネティクスに関連して概説し,細胞老化のがん防御だけでなく,がん促進の側面についても触れたい。
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7) |
細胞初期化と発がん
(蝉 克憲・山田泰広) |
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分化した体細胞からinduced pluripotent stem cells(iPS 細胞)の樹立が可能となった。iPS 細胞は胚性幹細胞(ES 細胞)と同様に無限に増殖可能で,かつ多分化能を有する細胞種であり,細胞移植を介した再生医療への応用が期待されている。本稿では,iPS 細胞の再生医療応用における障壁と考えられている腫瘍化を防ぐための取り組みについて紹介する。さらに,細胞のエピゲノム制御状態を改変し,分化状態を変化させうるリプログラミング技術をがん研究に応用する取り組みについての現状と,今後の展望を紹介する。
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2.環境相互作用・多因子疾患 |
1) |
エネルギー代謝のエピジェネティック制御と疾患
(阿南浩太郎・中尾光善・日野信次朗) |
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生体は栄養素を代謝しエネルギーとして消費する機構と,余剰なエネルギーを蓄積する機構を備えている。過剰な蓄積は肥満などの代謝性疾患の原因となるが,最近の研究でエネルギー消費と蓄積のバランス制御に,エピジェネティクス機構が関わっていることが明らかになってきた。その分子機序は不明な点が多いが,エピジェネティクス機構は環境刺激と遺伝子発現を媒介する機構として,さらに代謝特性を長期に記憶する機構として重要であり,代謝変化とエピゲノム制御という観点から活発な研究が行われている。
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2) |
糖尿病
(亀井康富・小川佳宏) |
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細胞核内のクロマチン構造や染色体の構築の制御には,塩基配列の変化を伴わずに遺伝子発現を調節するエピゲノム修飾(DNA のメチル化やヒストンのメチル化・アセチル化など)が重要である。エピゲノム修飾は様々な疾患の発症に密接に関与し,特にがん発症におけるがん抑制遺伝子のDNA メチル化の役割について多く研究がなされている。糖尿病に関してもエピゲノム修飾の関与を示唆する知見が得られている。
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3) |
高血圧,腎臓病でのエピジェネティクスの役割
(丸茂丈史・藤田敏郎) |
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高血圧や腎臓病の成り立ちにエピジェネティック異常が関与することが次第に明らかになってきた。一見不可逆的にみえる高血圧や腎臓病が,エピジェネティック異常をターゲットにすることにより,ある程度リバースできる可能性もあり解明が進められている。安定的なエピジェネティック異常に基づいた変化は,病期診断に応用できることも期待されている。腎臓は多種類の構成細胞からなるため,DNA メチル化解析のためにはセルソーターやレーザーマイクロダイセクションなどによって細胞を分取する必要がある。微量サンプルからの解析技術の進歩も望まれる。
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4) |
アレルギー性疾患
(滝沢琢己) |
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アレルギー性疾患の病態には,局所の脆弱性に加えて免疫が大きく関与している。アレルギーにおける免疫応答に関与する主要な細胞は,ナイーブCD4 陽性T 細胞より分化するが,その分化過程ではエピジェネティクスが重要な役割を果たしている。ヒトのアレルギー性疾患においては,様々な要因でリンパ球におけるエピジェネティクスの変動が報告されはじめている。しかし,まだ診断や新規病態解明に寄与するような検討は少なく,今後のさらなる研究が待たれる。
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5) |
骨関節疾患におけるエピジェネティクス
(今井祐記) |
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先進諸国では,社会の高齢化が急速に進行しており,健康長寿の獲得が社会的急務といえる。健康長寿の獲得には,高齢者の運動機能低下や寝たきり生活の大きな要因となっている骨粗鬆症による骨折や関節リウマチ,変形性関節症などの運動器疾患を適切に予防・治療する必要がある。これらの疾患に対して,更なる新規治療法の開発が期待されているが,骨関節疾患における治療標的としてのエピジェネティクスの詳細については,大部分が不明であるといえる。本稿では,骨関節疾患の病態生理におけるエピジェネティクスに関する最近の知見について紹介する。
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6) |
Helicobacter pylori 感染によるDNAメチル化異常の誘発
(丹羽 透・牛島俊和) |
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胃がんの強いリスク因子であるHelicobacter pylori (ピロリ菌)感染は,慢性炎症を介して胃粘膜上皮にDNA メチル化異常を誘発する。メチル化異常の蓄積量は胃発がんリスクと相関し,またDNA 脱メチル化剤によるメチル化異常の誘発・蓄積の阻止はピロリ菌感染による胃発がんを抑制する。したがって,メチル化異常はピロリ菌感染胃発がんの重要なメカニズムであることが示されている。現在,ピロリ菌感染によって胃粘膜に蓄積したメチル化異常に着目し,胃発がんリスクマーカーとしての臨床応用が試みられている。
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7) |
環境化学物質とエピゲノム
(五十嵐勝秀) |
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2013年現在,CAS(Chemical Abstract Service)に登録されている化学物質は 7000万を超え,われわれの生活環境にも非常に多くの化学物質が存在している。化学物質がエピゲノムに影響し,生体に有害な作用をもたらすエピジェネティック毒性が注目されつつあるが,エピジェネティック作用を有し,それが生体作用と関連づけられた化学物質はごく一部にとどまっている。本稿ではエピジェネティック毒性について,作用の有無が議論されている化学物質の具体例とともに紹介し,病気への関与について考察する。
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3.精神神経疾患 |
1) |
エピジェネティクスと神経疾患
(岩田 淳) |
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神経疾患にはエピゲノムに直接関与する遺伝子群での変異が疾患の原因となることが報告されている。代表的なものとしてはMECP2 遺伝子の変異で生じるRett 症候群やDNMT1 の変異で生じる認知症と難聴を伴う末梢神経障害がある。一方で,原因不明な孤発性神経変性疾患の原因や病態修飾をエピゲノムと結びつけるような研究も多数みられるようになってきた。特に患者数の多いアルツハイマー病やパーキンソン病において研究が進んでおり,疾患の原因の 1つと考えられるようなゲノムメチル化異常やヒストンアセチル化異常が見出されている。さらにHDAC 阻害剤による病態修飾や治療に関する研究も進められている。
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2) |
エピジェネティクスと精神疾患
(菅原裕子・文東美紀・石郷岡 純・加藤忠史・岩本和也) |
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主要な精神疾患である統合失調症と双極性障害は,遺伝環境相互作用が発症に関与すると考えられており,エピジェネティックな観点からの研究が行われている。本稿では,両疾患を対象としてこれまでに行われている,①ヒト死後脳を用いたエピジェネティクス研究,②末梢組織を用いたエピジェネティクス研究,③一卵性双生児におけるエピジェネティクス研究について概説するとともに,今後の課題について検討した。
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3) |
レット症候群とMeCP2
(辻村啓太・入江浩一郎・中嶋秀行・中島欽一) |
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methyl-CpG binding protein 2(MECP2 )遺伝子の変異は重篤な神経発達障害であるレット症候群(RTT)を引き起こす。これまでMeCP2 はメチル化DNA 依存的な転写抑制因子として考えられてきたが,近年の勢力的な研究により,転写活性化因子,mRNA スプライシング制御因子としても機能するなど,context-dependent に様々な機能を発揮し,遺伝子発現を制御することが明らかになってきた。MECP2 遺伝子の変異は,レット症候群患者だけでなく種々の精神・発達障害患者にも認められることから,MeCP2 の分子機能およびRTT の分子病態を明らかにすることは,広範囲の神経疾患の病態理解に寄与することが期待される。
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4) |
エピジェネティクスと脳機能
(久保田健夫・三宅邦夫・平澤孝枝) |
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遺伝性疾患は,遺伝子機能を喪失させる変異を原因とする疾患と遺伝子機能を異常に亢進させる変異を原因とする疾患とに分けられる。しかし,精神・神経疾患の中に同じ遺伝子の機能喪失と機能亢進のどちらをも原因とする疾患がある。このことから精神・神経を司る臓器である脳は,遺伝子の発現量が多すぎても少なすぎても異常をきたす臓器であると考えられる。すなわち,厳密な遺伝子発現調節を必要とする臓器といえる。このような遺伝子発現調節を担うメカニズムの1つがエピジェネティクスである。その先天的な異常が様々な発達障害疾患の原因となっていることから,脳の正常発達に必須のメカニズムと想定されるようになった。また,生後の養育環境で脳のエピジェネティクスが変化し,その後の長期にわたる脳機能変化がみられることなどから,脳の可塑性や記憶・学習にも関わるメカニズムであることが明らかにされつつある。
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5) |
脊髄損傷
(上薗直弘・松田泰斗・中島欽一) |
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脳や脊髄などの中枢神経は一度損傷すると再生は困難であると長らく考えられてきた。しかし,一度失われた神経回路網を再建することができれば,多くの神経疾患治療に有効であるため,この方法の開発に向けて様々な試みがなされてきた。近年,幹細胞研究の急速な発展に伴い,神経幹細胞移植による脊髄損傷治療が脚光を浴び,その有効性が示されはじめている。われわれは,重度脊髄損傷モデルマウスに対して神経幹細胞をただ移植するだけでなく,エピジェネティック制御により移植神経幹細胞をニューロンへと選択的に分化させることで,損傷脊髄の神経回路を再構築させ,下肢運動機能を回復させることに成功した。また,人工多能性幹(induced pluripotent stem:iPS)細胞由来神経幹細胞の移植が脊髄損傷治療に有効であることも報告され,その臨床応用への期待はいよいよ高まっている。
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4.不妊・先天異常 |
1) |
ヒト生殖補助医療(ART)とエピジェネティクスの異常
(千葉初音・岡江寛明・有馬隆博) |
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最近,わが国の晩婚化の社会情勢とヒト生殖医療技術の進歩により,生殖補助医療(ART)は一般的な不妊治療として定着している。しかしART の普及とともに,本来非常に稀であったインプリント異常を原因とする先天性疾患の発症頻度が増加していることが報告されている。ART は不妊症患者に多大な恩恵をもたらす一方,インプリントが獲得・維持される時期の配偶子を操作するため,DNA メチル化への影響が懸念されている。男性不妊症患者の精子ではインプリント異常の頻度が高く,これらの異常が胎児の成育に大きく影響することも推察される。インプリント異常は,先天性疾患だけでなく,乳幼児の身体的・精神的な発育・発達や成人の疾患にも関与する。今後もART 出生児が増加することが予想され,ART によるインプリント異常のリスク回避は,国民健康管理において重要な課題である。
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2) |
産科異常のエピジェネティクス
(右田王介・秦 健一郎) |
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エピジェネティックな機構が,生殖細胞や胎児・胎盤の発生分化に重要な役割を担っていることは,様々なモデル生物の解析や断片的ではあるがヒト発生異常の解析結果から明らかである。一方で,産科ないし周産期(特に胎児期)の異常は,標的臓器を直接解析することが困難で,標準データも確立されておらず,エピジェネティックな解析が系統的に行われているとは言い難い。今後は,複雑な周産期の異常を理解するために,ジェネティック・エピジェネティック双方の観点からの統合的な解析が望まれる。
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3) |
Prader-Willi症候群とAngelman症候群
(齋藤伸治) |
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Prader-Willi 症候群(PWS)とAngelman 症候群(AS)は15q11-q13 のゲノムインプリンティングに関連した疾患である。PWS は父性発現遺伝子HBII-85 の機能喪失が主たる原因と考えられ,AS は母性発現遺伝子UBE3A の機能喪失で発症する。15q11-q13 のインプリンティングはSNURF-SNRPN 上流に存在する刷り込み中心により制御されている。PWS とASはエピジェネティクスが疾患発症に関連する代表的な疾患であり,基礎研究と臨床研究とをつなぐ役割を果たしている。
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4) |
Beckwith-Wiedemann症候群と小児腫瘍
(東元 健・副島英伸) |
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Beckwith-Wiedemann 症候群(BWS)は,小児腫瘍を合併しやすい過成長症候群である。原因遺伝子座である11p15.5 領域には 2つの刷り込みドメインが存在し,この領域のエピジェネティックあるいはジェネティックな異常によって発症する。発症原因によって小児腫瘍の合併リスクや種類が異なることが知られている。近年,11p15.5 領域に加え,他の刷り込み制御領域にも同時にエピジェネティックな異常を生じている症例が報告されており,エピジェネティック異常の分子機構の点から注目されている。また,BWS をはじめとする刷り込み疾患と生殖補助医療との関わりが示唆されている。
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5) |
インプリント異常症
(鏡 雅代) |
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インプリンティング遺伝子の発現異常により生じるインプリント異常症のうち,本稿ではSilver-Russell 症候群(SRS),偽性副甲状腺機能低下症(PHP),新生児一過性糖尿病(TNDM),14番染色体インプリンティング異常症である 14番染色体父親性ダイソミー症候群(UPD(14)pat 症候群)および 14番染色体母親性ダイソミー症候群(UPD(14)mat 症候群)について解説する。特に,14番染色体インプリンティング異常症の発症メカニズムおよび責任インプリンティング遺伝子の発現調節メカニズムについて,近年明らかとなった知見を紹介する。
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6) |
DNAメチル化酵素異常症
(鵜木元香・新田洋久・佐々木裕之) |
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DNA メチル化は安定なエピジェネティック情報であり,細胞種特異的な遺伝子発現,発生段階特異的な遺伝子制御,染色体の維持,レトロトランスポゾンの抑制,ゲノム刷り込みやX 染色体不活性化などに重要である。このDNA メチル化の確立もしくは維持を担う DNAメチル化酵素の異常は,先天性および後天性疾患の原因となる。先天性疾患の原因としてDNMT3B とDNMT1 の変異が報告されており,また急性骨髄性白血病(AML),骨髄異形成症候群(MDS)およびT 細胞リンパ腫ではDNMT3A の後天性の変異が見つかっている。本稿では,これらのDNA メチル化酵素異常症について述べる。
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7) |
ヒストン修飾酵素異常症
(黒澤健司) |
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エピゲノムのプロセスに関わる酵素・因子の生殖細胞系列での変異に由来する先天性のエピゲノム異常症は,精神遅滞と特徴的身体所見を呈し,多くは先天奇形症候群として分類される小児遺伝性疾患である。本稿では,代表的なヒストン修飾酵素異常症である 4つの疾患(Kabuki 症候群,Rubinstein-Taybi 症候群,Say-Barber-Biesecker-Young-Simpson 症候群,Kleefstra 症候群)を取り上げ,臨床像と発症メカニズムについて解説した。原因遺伝子は明らかになったものの,実際の臨床症状の成り立ちについて解明が進んでいないのは,発症メカニズムの複雑さを物語っている。発生頻度が低く,研究対象とすること自体が難しいエピゲノム異常による先天奇形症候群の研究方法として,今後iPS 細胞なども期待される。
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8) |
コルネリアデランゲ症候群(CdLS)
(泉 幸佑・白髭克彦) |
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コルネリアデランゲ症候群(CdLS)は精神運動発達遅滞,成長障害,特異顔貌,多毛,上肢の異常,心奇形などを特徴とする多発奇形症候群である。CdLS は染色体分配に必須の役割を果たすコヒーシンタンパクおよびその代謝タンパクの変異により発症する。コヒーシン複合体が遺伝子発現調節に関わっていることが明らかにされてきており,CdLS はコヒーシンローダー/コヒーシンによる転写制御の異常により発症すると考えられる。本稿ではCdLS 発症の分子メカニズムについて概説する。
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●第3章 エピジェネティクスの技術開発と創薬
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1. |
DNA修飾の化学的解析の最新基本原理の紹介
(岡本晃充) |
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DNA メチル化・脱メチル化解析のための新しい解析原理として,いくつかの化学反応を紹介する。人工DNA「ICON プローブ」は,DNA 配列の中から調べたい 1ヵ所のシトシンに的を絞って,オスミウム錯体形成反応を誘導する。この反応によって,標的シトシンでのメチル化の有無を短時間の穏和な条件で検出することが可能になった。また,二核ペルオキソタングステン酸カリウム塩は,DNA 配列の中の 5-ヒドロキシメチルシトシンに特異的な反応を引き起こし,チミン誘導体へ変換した。
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2. |
メチローム解析
(三浦史仁・伊藤隆司) |
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次世代シークエンサーの登場・進化とともにメチローム解析技術も進化を続けている。メチル化感受性制限酵素や抗メチル化シトシン抗体を利用したタグカウントによるメチローム解析は一般的なツールとなった。多くの知見をもたらした全ゲノムバイサルファイトシークエンシングはより高感度な鋳型調製技術の出現とともにその応用範囲が拡大している。RRBS やターゲットバイサルファイトシークエンスは費用対効果の大きいメチローム解析を実現し,1分子シークエンサーによるメチル化シトシンの直接検出は,メチローム解析に新たな展開をもたらす可能性がある。
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3. |
ヒストン修飾検出法
(木村 宏・佐藤優子) |
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ヒストンタンパク質の多様な翻訳後修飾は,DNA 修飾とともにエピジェネティクス制御の重要な指標である。そのため,ヒストン修飾の解析は,発生や分化,病態変化に応じた遺伝子発現の制御機構を理解するうえで欠かせないものとなっている。ヒストン修飾の検出には,質量分析などの化学的特性を利用して分離する方法,放射性同位体の取り込みにより同定する方法,修飾特異的抗体による免疫化学的手法などが用いられる。その中でも,抗体を用いた検出法は,ゲノム上の修飾の分布や個々の細胞レベルでの修飾状態の違いなど多岐の用途にわたって使用できる。
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4. |
iChIP法による特定ゲノム領域の単離と結合分子の同定
(藤井穂高) |
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転写やエピジェネティクス制御をはじめとして,ゲノムDNA 機能によって制御されている生命現象を包括的に理解するためには,当該ゲノム領域に結合している分子の同定とその機能解析が必須である。しかし従来,生体内で特定ゲノム領域に結合している分子を同定するための方法は限られていた。筆者らのグループは,生体内での相互作用を保持したまま特定ゲノム領域を単離してその生化学的・分子生物学的解析を行うための新規方法として挿入的クロマチン免疫沈降法(insertional chromatin immunoprecipitation:iChIP)を開発した。本稿では,iChIP 法のエピジェネティクス・クロマチン研究への応用について解説する。
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5. |
次世代エピジェネティックドラッグ開発の最前線
(鈴木孝禎) |
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DNA のメチル化やヒストンリシン残基のアセチル化・メチル化などのエピジェネティクス機構の異常は,がんなどの疾病に関与することが報告されており,これまでにDNA メチル基転移酵素阻害剤やヒストン脱アセチル化酵素阻害剤が開発され,臨床応用されている。現在,多くの研究グループが,次世代エピジェネティックドラッグをめざして,ヒストンメチル化酵素阻害剤やヒストン脱メチル化酵素阻害剤,ブロモドメイン阻害剤などの創製研究を行っている。これらの阻害剤は,新たな作用機序の治療薬として期待され,研究開発が急速に進んでいる。
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6. |
エピジェネティクス可視化技術と創薬
(佐々木和樹・吉田 稔) |
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エピジェネティクス情報は,修飾酵素によって書かれ,修飾結合タンパク質によって読まれ,脱修飾酵素によって消されている。これらの制御機構の異常は疾患に関わっていると考えられており,それぞれの酵素を制御する化合物の開発は創薬につながっていくと期待されている。本稿では,エピジェネティクスの可視化技術を紹介し,エピジェネティクス阻害剤の評価系としての可能性について議論したい。
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7. |
再生医療とエピジェネティクス
(梅澤明弘・西野光一郎) |
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ヒト多能性幹細胞は,その作製段階にてエピゲノム改変を生じ,再生医療における細胞評価に用いられる可能性は高い。細胞固有のエピゲノムパターンは細胞の組織特異的遺伝子発現パターンを決める記憶装置として働き,各細胞の性質を決定づける基盤となっている。ヒト多能性幹細胞のエピジェネティクス研究は,リプログラミング機構の解明につながるだけでなく,細胞の特性,未分化および分化制御機構の解明,さらには再生医療応用における移植細胞の細胞評価や規格化への応用につながる重要な領域である。ヒト体性細胞および多能性幹細胞のエピゲノム状態を定量することで細胞評価システムを構築できる。
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●索引 |