序文
 

 病気におけるエピジェネティクスの役割が注目されている。よって,今回のメディカルドゥ社「遺伝子医学MOOK」の企画は実にタイムリーである。本特集ではまず,ヒトの病気をエピジェネティクスの観点から研究しておられる方々にそれぞれの病気についての概説をお願いした。また,エピジェネティクスを標的とした診断や創薬についても,その現状や基礎的技術を知る専門家の方々に解説をお願いした。いずれも,わが国トップの方々に執筆していただくことができ,たいへん有り難く思っている。
 この分野は現在非常な勢いで発展しつつあるが,一方でやや薄い根拠に基づく仮説や推測が先行している面がなきにしもあらずである。最先端の分野や発展性の高い分野は得てしてそんなものだろうし,そういう仮説や推測から大きな発展があると思うので,そのことを否定するつもりはない。しかしながら,仮説に対しては不断の検証が必要であり,その研究においてはサンプルの品質,実験技術,データ解釈,再現性などをとことん追求することが必要である。元気の出る仮説が正しいとは限らないし,いつまでも仮説のまま放っておくことも許されない。よって今回はしっかりした執筆陣に,どこまでわかっていてどこからわかっていないのかを明示しつつ,最先端の研究の現状について紹介していただくことにした。読者の方々の頭の中が整理されれば幸いである。
 時あたかも国際ヒトエピゲノム計画が進行中であり,ヒトの正常な組織や細胞型の標準エピゲノムが国際協調で解読されつつある。これが完成すれば病気のサンプルとの比較が容易になり,この分野の研究は一層進むであろう。一方,ゲノムはもちろんのこと,プロテオームやメタボロームの研究も日進月歩であり,将来的にはオミクス情報を横断的・統合的に活用することで大きな展開があるのであろう。まさにビッグデータの時代である。
 ギリシャ神話のプロメテウスは「先見の明を持つ者」または「行動する前に熟慮する者」であり,エピメテウスは失敗した後でああしていれば良かったと後悔する「あと知恵の者」だそうである。エピジェネティクスは環境に応じて徐々に蓄積し,かつ長期間記憶される遺伝子機能の変化である。われわれはエピジェネティクスをうまく用いて病気を予測・診断し,予防・治療するプロメテウスになれるだろうか。知恵に走り過ぎないプロメテウスになりたいものだ。本特集でそれを考えていただければ幸いである。

九州大学  佐々木裕之