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内容目次 |
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序文 (戸田達史) |
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●第1章 総論 |
1. |
神経遺伝医学研究の歴史的背景と今後の課題
(辻 省次・三井 純・石浦浩之) |
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遺伝性神経疾患の研究は先天代謝異常症の解析から始まり,連鎖解析とポジショナルクローニング法の確立,次世代シーケンサーの登場により大きく発展した。孤発性神経疾患の研究はゲノムワイド関連解析に基づく疾患感受性遺伝子の研究が精力的に行われてきている。疾患発症に対する影響度の大きい遺伝的要因の解明は困難を極めており,missing heritabilityとして研究上の大きな課題となっているが,common disease-multiple rare variant仮説に基づいた遺伝子探索が行われ,成果が得られはじめている。臨床遺伝学の観点からは,孤発性疾患であっても家族集積性が観察される疾患は数多く知られており,遺伝学の観点を重視した研究パラダイムが重要である。
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2. |
精神疾患研究の現状と展望
(久島 周・尾崎紀夫) |
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近年のゲノム解析技術の進展を背景に,精神疾患の発症に関与する遺伝要因が多数同定されつつある。その結果,①精神疾患の遺伝的異質性が高いことに加え,②精神疾患関連ゲノム変異が不完全浸透と多面発現的効果を示すこと,③進化的に新しい稀な変異の重要性,④ニューロンにおける体細胞変異の関与が明らかになりつつある。症候学に基づいて定義される精神疾患をゲノム変異の観点から捉え直すことで臨床・基礎研究も影響を受けつつある。ゲノムコホート研究,モデル動物研究,人工多能性幹細胞を用いた研究を例として述べる。
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3. |
精神神経疾患診療における臨床遺伝学,遺伝学的検査
(後藤 順) |
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一般診療は患者を対象とするが,臨床遺伝学は患者の血縁者やこれから生まれてくる者をも対象としている。診療は疾患ごとに異なり,①単一遺伝子疾患か多因子疾患か,②病因遺伝子の同定の有無,③有効な治療法・予防法の有無により類別される。診療において重要な遺伝学的検査は,単一遺伝子疾患において臨床的有用性,妥当性が認められる。次世代シークエンサーなどの出現により,喫緊の課題となっている,遺伝子診断のパラダイムシフト,診療と研究との関係,倫理的法的社会的問題などについても注意を払う必要がある。
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4. |
孤発性疾患のリスク遺伝子の発見 - ゲノムワイド関連解析の現状,進化と今後
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(佐竹 渉・戸田達史) |
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ゲノムワイド関連解析(GWAS)は,数十〜数百万種のSNP型をアレイなどにより判定しSNP型の頻度の違いを患者対照間で検定することにより,多遺伝性疾患の疾患リスク遺伝子座を発見する手法であり,これまで多くのリスク遺伝子座を発見してきた。また,実験的には遺伝子型判定されていない
SNP の遺伝子型を推測する “imputation法” やimputation法をベースに複数のGWASを合算解析する
“メタGWAS”,複数人種のデータをメタ解析する “trans-ethnic GWAS” などが行われており,今後の全ゲノム参照パネルの大規模化によって,より低頻度のリスク
variant まで発見できるように,GWASは進化を続けている。さらに,private mutation
も含めた超低頻度の variant に関しては,数千検体のエクソームデータによる遺伝子単位の関連解析が,筆者らをはじめ世界の複数施設で行われている。
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5. |
次世代シーケンサー,次々世代シーケンサーとクリニカルシーケンシング
(石浦浩之) |
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次世代シーケンサーの登場により全例のない規模でのシーケンシングが可能になり,エクソーム解析,全ゲノム配列解析も実用化の段階となっている。今後,いかに医療に応用していくかが課題となっている。次々世代シーケンサーと呼ばれる新規の手法も複数出現しており,今後の発展が期待される。これらの技術によりゲノム研究・ゲノム医療が発展していくことは間違いないが,それに伴った特有の問題も浮上しており,広く議論していくことが肝要である。
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6. |
個人ゲノム解析のためのゲノムインフォマティクス
(森下真一) |
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個人ゲノムの変異はどの程度検出できるようになってきているか? 変異の有害性はどの程度判断できるようになってきているか? 個人ゲノム解析では重要なポイントであり,ゲノムインフォマティクスの果たしている役割は大きい。2007年頃から20〜300塩基程度の短鎖DNA断片を解読する第2世代DNAシーケンサー(次世代シーケンサーとも呼ばれる)が普及した。その結果,個人ゲノム解読が大きく前進し,1塩基変異などの短い変異を検出できるようになり,これまでに数千人規模の個人ゲノム解読結果も報告されている。一方,2011年から市場化された第3世代DNAシーケンサー(1分子実時間シーケンサー)は,塩基長が2000〜50000塩基の長鎖DNAを解読でき,これまで観測が困難であった構造変異を調べることを可能にしている。このような分析をする際に,どのようなゲノムインフォマティクスが必要になるかについて本稿では解説する。
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7. |
遺伝子治療とゲノム編集 - 最近の進歩 -
(金田安史) |
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現在までの遺伝子治療の臨床試験は,そのほとんどが体細胞を標的とした遺伝子による機能補充療法である。しかし,従来より開発されてきた変異遺伝子の修復技術が,この数年は急速な進歩を遂げ,ゲノムを改変するゲノム編集の革新的技術を用いた遺伝子修復による治療が現実味を帯びはじめている。実際に zinc finger nuclease(ZFN) を利用してHIV耐性のリンパ球を構築してAIDS抵抗性を高める臨床試験が進んでいる。一方,技術的には非標的部位の切断(off-target effect)が起こる可能性が高いこと,遺伝子変異の修復についてはさらなる改善が必要であるなど,解決すべき課題は多い。しかし,この技術をヒトの生殖細胞に応用する動きがあり,大きな倫理的問題を世界中に投げかけつつある。
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8. |
iPS細胞を用いた神経・精神疾患解析と創薬研究
(村上永尚・和泉唯信・梶 龍兒・井上治久) |
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2007年にヒトiPS細胞が誕生して以来,神経・精神疾患特異的iPS細胞を用いた研究は,疾患の病態研究・創薬研究に応用され,報告数は爆発的に増加している。疾患の病態研究においては,遺伝子変異部位の修復を施した対照群を用いた研究も近年多数報告されている。本稿では,iPS細胞を用いた神経・精神疾患解析と創薬研究のこれまでの結果について概説し,それぞれの疾患における代表的な報告について述べる。
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9. |
光遺伝学
(橋本唯史・岩坪 威) |
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光遺伝学は光刺激により特定の神経細胞を時空間特異的に,高精度で制御可能な新技術である。近年,光遺伝学を利用することにより,自閉症や不安障害といった精神疾患,パーキンソン病やアルツハイマー病などの神経変性疾患,など様々な脳神経疾患の病態解明や治療法開発が可能となってきた。本稿では,そのような光遺伝学の応用例を紹介し,光遺伝学の有用性について考察する。
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10. |
認知症診断ツールとしてのPETイメージング
(佐原成彦) |
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超高齢者社会の到来とともに認知症患者数は増加し続けている。現在,認知症の中で最も頻度の高いアルツハイマー病の克服をめざして数多くの基礎研究が進められている。しかし,残念ながら永続的に効果をもたらす治療薬や予防薬の開発には至っていない。一方で,生体脳の病理像を評価しうるPETイメージング技術が進歩しつつあり,アミロイドPETイメージングやタウPETイメージングを活用することによって,近い将来,早期診断や治療効果の判定が可能となり,薬剤開発が促進されることが期待される。
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11. |
エピジェネティクス - 環境情報を包含した遺伝情報の生物学的基盤 -
(久保田健夫) |
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次世代シーケンサーの恩恵を受けて,遺伝子検査に基づいた遺伝カウンセリングが広く実施されるようになった。また近年,親から受け継いだ感受性遺伝子多型を含む個人ゲノム情報を基盤にした多因子遺伝病に対する遺伝カウンセリングが検討されはじめた。さらに最近,missing heritability といわれるゲノム配列では説明できない遺伝様式の存在が議論され,環境情報を包含する遺伝情報であるエピジェネティクスがその一翼を担っていると考えられるようになってきた。これを踏まえ,エピジェネティックな遺伝情報に根ざした遺伝カウンセリングの実現が期待されている。
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12. |
革新脳とマーモセット
(佐々木えりか) |
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ヒトの脳の全容を解明するという大きな研究プロジェクトが,米国では 「Brain Research through Advancing Innovative Neurotechnologies(BRAIN)initiative」,欧州では Human Brain project として2年前から開始した。わが国では小型の霊長類であるコモンマーモセットをモデルにヒトの脳の構造と機能の解明に挑む 「革新的技術による霊長類の神経回路機能全容解明プロジェクト」 が昨年開始した。このプロジェクトの概要と,なぜコモンマーモセットを用いて脳の構造・機能を解明するのか,コモンマーモセットのモデルとしての有用性について解説する。
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13. |
神経変性疾患のレジストリと遺伝子リソースバンク
(熱田直樹・祖父江 元) |
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高齢化社会をむかえ,患者数増加が想定される神経変性疾患の克服は喫緊の課題である。その治療法開発にあたっては,基礎的研究で得られた治療シーズを臨床試験につなげ,治療法開発を推進する体制整備が必要である。そのために大規模な疾患レジストリを構築する必要性が認識されている。疾患レジストリにゲノム遺伝子などのバイオリソースを組み合わせることで,疾患関連遺伝子・分子の探索固定,病態抑止効果を検出するための臨床試験デザインの策定,適切で迅速な臨床試験への患者リクルートなどに資することができる。筋萎縮性側索硬化症についての取り組みを例として,神経変性疾患の患者レジストリについて論じる。
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14. |
新規治療法の開発とその関連制度
(鈴木麻衣子・中村治雅・武田伸一) |
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新規治療法,とりわけ新しい医薬品の開発を行う場合は,基礎研究から非臨床試験,臨床試験の実施を通じてその有効性や安全性を証明する必要があり,またそれを日常診療で一般的に使用するためには医薬品の承認を得ることや保険適用となることも重要である。本稿では,新たな医薬品実用化の道筋として,治験や先進医療といった関連制度,近年整備されてきた国による開発支援策について,その概要を説明するとともに,開発の具体例として,国立精神・神経医療研究センターで行ったデュシェンヌ型筋ジストロフィーの治療薬開発の実際を紹介する。
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●第2章 精神・神経疾患の遺伝医学研究・診療各論 |
1. |
脳血管障害における遺伝医学研究の進歩と現況
(宮脇 哲・斉藤延人) |
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近年の遺伝子解析技術の進歩により脳血管障害の分野においても様々な疾患の原因遺伝子や感受性遺伝子,疾患発症と関連する一塩基多型や染色体座などが明らかとなってきている。脳血管障害における遺伝的要因の探索の意義は,特定の分子カスケードをターゲットとした新規の治療法の開発に直接寄与するだけでなく,遺伝子診断の鑑別診断への貢献,適切なリスク評価や発症予測を可能性にし,さらには新たな診断基準や疾患概念の確立につながる可能性がある点にある。脳血管障害における遺伝医学研究の進歩と現況について概説する。
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2. |
アルツハイマー病
(東海林幹夫) |
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家族性アルツハイマー病(AD)の原因遺伝子にはAPP,PSEN1,PSEN2 があり,危険因子としてApoE4遺伝子型が明らかにされている。APP では90家系32遺伝子変異,PSEN1 では411家系185の遺伝子変異,PSEN2 では34家系13遺伝子変異ほどが報告され,PSEN1 の頻度が最も多い。表現型は早期発症ADの経過を示すが,発症年齢,罹病期間,症状は同一遺伝子変異例でも多彩である。家族性AD家系のバイオマーカーを用いた観察研究によって,ADの脳病理は発症20年前から徐々に進行することが明らかにされた。遺伝子解析やバイオマーカーの検査結果の開示などカウンセリング体制の整備が急がれている。
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3. |
パーキンソン病の遺伝子研究
(大垣光太郎・西岡健弥・服部信孝) |
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パーキンソン病の発症メカニズムはいまだ完全には解明されておらず,根治療法は開発されていない。家族性パーキンソン病で同定された遺伝子は孤発性パーキンソン病においても影響があり,病態解明に貢献することが示されている。近年のトピックとして,PINK1/parkin 遺伝子産物がミトコンドリアの品質管理を行い,さらにはミトコンドリアに局在するタンパクをコードするCHCHD2 遺伝子が新たに家族性パーキンソン病から同定され,ミトコンドリア研究に再び注目が集まっている。
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4. |
多系統萎縮症
(三井 純) |
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多系統萎縮症は,αシヌクレインを構成成分とするオリゴデンドログリア細胞質内封入体を疾患特異的な病理所見とする原因不明の神経変性疾患である。原則として孤発性の発症であるが,集団により臨床亜型
(小脳性失調症状が主体の病型とパーキンソン症状が主体の病型) の頻度が異なる点,患者の血縁者にパーキンソン病の頻度が高い点などから,発症に遺伝因子が関与することが推測されていた。近年,家族性多系統萎縮症の原因遺伝子や疾患感受性遺伝子が新たに報告され,遺伝因子の一端が明らかになりつつある。本稿では,最近の遺伝学的研究の知見について概説する。
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5. |
脊髄小脳変性症
(石川欽也・吉田雅幸) |
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脊髄小脳変性症は,小脳とそれと連絡をとる神経系統の変性を来す疾患であり,遺伝性,非遺伝性の疾患の総称である。脊髄小脳変性症には多数の疾患が含まれており,また症状は類似しているが異なる脊髄小脳変性症以外の疾患もあるため,遺伝カウンセリングにおいては,正確な診断がなされていることがまず重要なステップである。次に脊髄小脳変性症の遺伝形式や疾患の経過などを十分考慮して,神経内科医,臨床遺伝専門医,看護師,遺伝カウンセラーなどと連携してのカウンセリングが提供されることが望ましい。
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6. |
多発性硬化症
(松下拓也) |
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多発性硬化症(MS)は,時間的・空間的に多発する中枢神経系の脱髄を特徴とする自己免疫性慢性炎症性疾患である。患者親族の相対的発症リスクは上昇しており,その傾向は一卵性双生児で最も高い。家系内の患者集積は主に遺伝的要因で説明され,その形式は多遺伝子性であると考えられている。発症の遺伝的要因としては古くからヒト白血球抗原
(human leukocyte antigen:HLA) との関連が知られており,ヨーロッパ系人種ではリスクアレルとしてHLA-DRB1*15:01,疾患抵抗性アレルとしてHLA-A*02:01 が確認されている。HLA以外の遺伝要因の探索のため大規模な全ゲノム関連解析 (genome-wide association study:GWAS) が行われており,ヨーロッパ系人種においては100を超える多型との関連が確定している。これらの関連遺伝領域は機能的にはTリンパ球の活性化に関わっているものが多い。関連遺伝領域に含まれるいくつかの遺伝子については,関連多型がその発現に影響を及ぼすことが示されている。臨床的特徴と関連する遺伝領域はHLAを除き,まだ明らかになっていない。今後は関連遺伝領域から原因遺伝子がもたらす生物学的な影響を明らかにし,治療への応用が期待される。また臨床経過との遺伝的関連解析により,MSにおける神経障害の慢性的進行についての理解と,その対応への展開が望まれる。
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7. |
筋萎縮性側索硬化症
(青木正志) |
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筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis:ALS)は神経疾患の中で最も過酷な疾患とされ,有効な治療薬や治療法がほとんどないため,早期に病因の解明と有効な治療法の確立が求められている。ALS発症者の約5%は家族内で発症がみられ家族性ALSと呼ばれるが,1993年にその一部の原因遺伝子がCu/Zn superoxide dismutase(SOD1 )であることが報告された。その後,多くの原因遺伝子が報告されたが,わが国では家族性ALSの中ではSOD1 が最も頻度が高く,次いでfused in sarcoma/translated in liposarcoma(FUS/TLS )遺伝子がこれに続く。その一方で,欧米で多数報告されているC9ORF72 遺伝子による症例は少ないとされている。
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8. |
末梢神経疾患
(橋口昭大・髙嶋 博) |
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Charcot-Marie-Tooth病に代表される遺伝性末梢神経障害は,その原因遺伝子は70を超えており,臨床像も非常に多岐にわたっている。同じ遺伝子変異でも臨床像が異なることも少なくない。そのため,ある程度の臨床分類はできても臨床像から原因遺伝子を特定することは困難である。次世代シークエンサーの普及により遺伝子解析は格段に進歩した。遺伝子診断をすることは今後の遺伝性末梢神経障害の治療研究の基礎となるだろう。
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9. |
筋疾患の遺伝医学研究
(濵中耕平・西野一三) |
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遺伝性筋疾患を取り巻く状況は大きく変わりつつある。従来,遺伝性筋疾患に治療法はなく,診断の意義は必ずしも大きくなかった。昨今,遺伝性筋疾患に対する多くの治療法が考案されはじめた。そういった治療法の多くは,原因遺伝子特異的,時には原因遺伝子変異特異的なものである。それ故,遺伝子変異の同定が重要となりつつある。こういった遺伝子診断の重要性が増していることを踏まえ,最新の遺伝医学研究におけるトピックスを総覧したい。
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10. |
ミトコンドリア病
(後藤雄一) |
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ミトコンドリア病の特徴は多様性である。病因の多様性として,核DNA上には200近くの原因遺伝子が同定されているし,細胞内にマルチコピーで存在しているミトコンドリアDNAの量的・質的変化が病因になることが知られている。病態の多様性としては,元来ミトコンドリアのもつ機能であるエネルギー産生に加えて,活性酸素産生,オートファジー,母系遺伝などが関係している。これら病因・病態の複雑な関係が,「いかなる臓器症状」,「いかなる発症年齢」,「いかなる臨床経過」,そして 「いかなる遺伝形式」 という臨床の多様性として表現される。
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11. |
てんかん
(石井敦士・廣瀬伸一) |
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てんかんは,外傷・脳卒中・腫瘍や一部の代謝性疾患を除いては,遺伝子の異常による。頻度は人口の0.4〜0.9%と脳神経疾患の中で高い頻度の疾患である。てんかんの遺伝子研究は次世代シークエンサー(NGS)により革新的に進歩した。特に,病因遺伝子の同定が困難だった孤発発症のてんかんで著しい成果を生み出している。それでも,約30〜50%の同定率であり,依然多くの課題を抱えている。一方,NGSにより同定された遺伝子から,その分子病態がチャネル異常から神経細胞ネットワークの異常へと進展し,新たな研究戦略が試みられている。
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12. |
双極性障害の遺伝学
(加藤忠史) |
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近年のシーケンス技術の進歩により,全ゲノムあるいはエクソーム解析がうつ病,双極性障害などの気分障害や,統合失調症などの精神病性障害にも応用されている。双極性障害における全ゲノム/エクソーム解析では,家系解析と症例対照研究が行われており,これまでの研究で示唆されてきたカルシウムシグナリングなどのパスウェイの役割が示されている。また,双極性障害を伴うメンデル遺伝病の稀な変異は,双極性障害の原因解明に有用な可能性がある。近い将来,双極性障害の遺伝的構造が明らかになると期待され,新技術による原因遺伝子変異の同定は,双極性障害の神経生物学的研究を促進すると期待される。
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13. |
パニック症の遺伝研究
(音羽健司・杉本美穂子・佐々木 司) |
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本稿ではパニック症 (panic disorder:PD) の症状,これまでの遺伝研究について述べる。PDの家族研究,双生児研究からは遺伝要因が明らかにされている。分子遺伝学研究では,従来の候補遺伝子アプローチに代わり,全ゲノム関連解析 (genome-wide association study:GWAS) が行われるようになり,そのメタ解析も実施されている。PDの発症には環境要因も重要である。遺伝子発現に影響を与えるエピジェネティクスは環境要因によって変化することが報告され,精神疾患との関連も注目されている。以上述べたような遺伝研究から得られた知見がPDの遺伝メカニズム解明の端緒となることを期待したい。
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14. |
統合失調症
(橋本亮太) |
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統合失調症は,主に思春期・青年期に発症し,幻覚・妄想などの陽性症状,意欲低下・感情鈍麻などの陰性症状,認知機能障害などが認められ,多くは慢性・再発性の経過をたどり,社会的機能の低下を生じる精神障害である。統合失調症は家族集積性が高く,その遺伝要因に着目したゲノム研究がなされ,大規模サンプルによるGWASによって108ものリスク座位の同定に成功し,これらの遺伝子に基づいた創薬が期待されている。統合失調症の遺伝カウンセリングにおいては,遺伝そのものだけでなく妊娠とくすりの関係についても説明を求められることが多く,偏見の問題も含めて一般の遺伝カウンセリングとは異なる配慮が求められる。
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15. |
自閉症スペクトラム障害
(安田由華) |
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自閉症スペクトラム障害 (ASD:autism spectrum disorders) は,幼児期早期から発症する神経発達障害であり,①社会的相互作用とコミュニケーションの困難さ,②限定された反復的で常同的な行動・興味・活動を中核症状とする。遺伝カウンセリングにおいては,正確な診断を行うこと,遺伝子検査の診断率やその価値について話し合うこと,患者中心の医療を行うこと,継続的に報告された知見を取り入れること,そして個別の臨床的特徴や経過に基づいて最適な評価計画を行うことが重要である。
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16. |
神経内科疾患のファーマコゲノミクス
(莚田泰誠) |
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薬物応答性とゲノム情報との関連を調べることを目的としたファーマコゲノミクス研究の進展により,薬物治療開始前に薬効や副作用のリスクを予測可能な一塩基多型(SNP)などのゲノムバイオマーカーが報告されつつある。これらのゲノムバイオマーカーが,その臨床的有用性が実証されたうえで臨床に導入されれば,事前の遺伝子検査の結果に基づいて,治療薬を選択したり投与量を調節したりすることにより,維持用量への速やかな到達や集団全体における副作用の発現頻度の低下などが可能となる。
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17. |
心理的形質と双生児研究
(安藤寿康) |
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あらゆる心理的形質には遺伝の影響があり,家族を類似させる共有環境の影響は少なく,環境要因としては一人一人に固有の非共有環境が大きいことが,双生児法を用いた行動遺伝学研究から明らかにされている。一般に,併存する形質の間は遺伝によって媒介されており,それは分子遺伝学的研究からも支持されるようになってきた。環境の選択や形質の発達的な変化にも遺伝要因が関わる。不一致一卵性のエピジェネティクスの差異は,遺伝子発現のダイナミズムを知る最新の方法として注目されている。
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●第3章 精神神経遺伝カウンセリング各論 |
1. |
精神・神経難病疾患の遺伝カウンセリングに参加するカウンセラー
(神経内科専門医,臨床遺伝専門医,認定遺伝カウンセラー)の役割と考え方
(千代豪昭) |
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遺伝カウンセリングが対象とする遺伝性疾患には妊娠・出産に伴う領域,小児期の発達・障害に関するもの,外科的治療が必要なもの,家族性腫瘍,精神・神経疾患など臨床各科にまたがる広い領域がある。精神・神経疾患には進行性で治療が困難なものが多く,成人期の発症でクライエントの不安だけでなく,家族を巻き込んだ対応が必要になることも多い。綿密な家系資料の収集や遺伝子診断,医療・福祉資源との連携など
「遺伝カウンセリング技術」 を総動員しなくてはならないことも多い。このような精神・神経疾患の遺伝カウンセリングの領域で,遺伝カウンセリングの医療に占める役割をカウンセリングの進め方の中で具体的に紹介する。
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2. |
精神・神経遺伝カウンセリングの実際
(千代豪昭) |
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精神・神経疾患の遺伝カウンセリングは遺伝に関する共通した問題に加えて,①すでに自己確立し,家族など人間関係ができ上がった成人期発症のものが少なくないこと,②闘病は進行性で長期にわたり,治療が困難なものが少なくないこと,③人格の荒廃など人間性が損なわれるという本人の恐怖感,周囲の介護不安など心理的対応が必要になるなどの特徴をもつ。遺伝カウンセラーとしては,疾患に関する情報提供だけでなく,遺伝の仕組みや診断・治療など生殖・受療行動の調整や教育,心のケアや事故の防止,包括的なケアをめざした地域医療資源とのコーディネーションなど,カウンセラーが学んだあらゆる技術を総動員して対応しなくてはならない。事例をもとに,精神・神経疾患の遺伝カウンセリングについて紹介する。
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3. |
出生前診断と発症前診断
(近藤恵里・浦野真理・斎藤加代子) |
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遺伝性神経・筋疾患は,出生前診断あるいは発症前診断の対象となることがある。希望者に対しては,チーム遺伝医療の体制のもとにガイドラインを遵守し,慎重な遺伝カウンセリングを行いながら実施の検討がなされる。遺伝カウンセリングの留意点は疾患によって異なるところがあり,また同じ疾患でもクライエントの背景や心理状況は様々であるため,症例ごとに寄り添って一緒に考え,クライエントの自己選択を支えていく必要がある。検査実施に際しては,結果が陽性であった場合の見通しが熟慮されていること,心理社会的なサポートを継続できる体制が整えられていることが大切である。
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4. |
精神神経遺伝カウンセリングの実際 (ケーススタディ) |
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1) |
ハンチントン病
(吉田邦広) |
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ハンチントン病は極めて浸透率の高い常染色体優性遺伝病であり,舞踏病,認知・精神機能障害を主症状とする。HTT 遺伝子内のCAG反復配列の過剰伸長が原因であるが,CAG反復数により発症年齢や臨床像はかなりばらつきがある。現時点では有効な予防法や治療法がなく,発症からの平均余命は15〜20年とされる。確定診断された患者はもとより,介護する家族や血縁者に対しての心理社会的支援が強く求められる。特に at risk である患者の子供に対する遺伝カウンセリングは,発症前遺伝子診断に象徴されるように遺伝医療の中では中核的課題の1つである。
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2) |
ミトコンドリア病
(後藤雄一) |
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ミトコンドリア病の遺伝カウンセリングのポイントは,その臨床像の多様性に由来する診断の難しさと,遺伝様式の多様性,特に母系遺伝形式のわかりやすい説明に集約される。診断については,診療科の担当医,病理・生化学・遺伝子診断を行う施設と連携して,どこまで,どのような診断アプローチを行うかの判断を行うことが重要である。母系遺伝については,その機序と発症との関係をできるだけ明確に説明し,特にヘテロプラスミーで起きる病態では発症予測が困難であることを理解してもらうことが重要である。
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3) |
筋強直性ジストロフィー
(酒井規夫) |
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筋強直性ジストロフィーはDuchenne型筋ジストロフィーについで頻度の高い筋疾患であり,常染色体優性遺伝形式の疾患である。また表現促進現象を認め,特に母親からの遺伝で重症の先天型の罹患が多いことが遺伝カウンセリングにおいても重要なポイントとなる。臨床症状は筋症状のみならず,内分泌異常,白内障,糖尿病,前頭部禿頭,性腺機能障害,知的障害など多岐にわたる。また,発症前診断,出生前診断なども課題となる疾患であり,その対応は多面的で専門的なものである。
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4) |
精神疾患の遺伝を患者家族とどう話し合うか
(石塚佳奈子・尾崎紀夫) |
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精神疾患の診断やリスク評価において,詳細な家族歴の聴取と丁寧な診察は必要不可欠である。稀な症候群を除き,現時点で有用な臨床遺伝学的検査は存在しない。しかし,近い将来に臨床経過の予測や家族のリスク評価の一環として遺伝学的検査が組み込まれることは間違いない。臨床家は世界の流れを把握し,遺伝学の知識を身につける必要があるとともに,相談者の人生に及ぼす影響に配慮して,科学的知見に基づいた正確な情報提供と疾病説明に努めたい。
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5. |
認定遺伝カウンセラー制度と教育トレーニング
(山内泰子) |
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認定遺伝カウンセラー制度はわが国における遺伝カウンセリング担当者(非医師)を養成するものである。専門教育は認定遺伝カウンセラー養成課程設置の大学院で行われる。実践を支える基本的な知識(人類遺伝学・遺伝医学,カウンセリング理論と技術,倫理や社会)と態度を身につけ,どの領域でも対応できる基盤を修得する。認定試験に合格・資格取得後も継続的な研修が課せられている。就職後の現場に応じた最新の知識およびトレーニングを積み,医師などの関連識者との協同が肝要で,広く関わる領域の専門家の協力が不可欠である。
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本論文は,遺伝子医学MOOK 別冊/ シリーズ:最新遺伝医学研究と遺伝カウンセリング
「シリーズ1 最新遺伝性腫瘍・家族性腫瘍研究と遺伝カウンセリング」 (300
〜 309 頁)より転載しています。 |
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●第4章 倫理的・法的・社会的問題 |
1. |
患者登録と情報
(木村 円) |
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希少疾患の国際的な臨床開発において患者登録は重要な役割を果たしている。Remudyは,神経筋疾患の臨床研究基盤の構築を推進する国際的組織
TREAT-NMD alliance の重要なメンバーとして,わが国におけるナショナルレジストリーを運用してきた。治験・臨床研究の推進,登録者と最新の医療・臨床研究に関する情報共有に貢献している。対象疾患の拡大とともに,臨床開発に資する自然歴研究,市販後安全性調査データベースへの展開をめざしている。登録情報を厳密に管理するシステムは,ICTテクノロジーの進展と医療ビッグデータ時代の倫理的課題や法改正に対応し,さらなる進化が望まれる。
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2. |
ハンチントン病と患者会
(三原寛子) |
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ハンチントン病は遺伝性疾患のため家族間でも病気について話し合うことが難しい。特に at-risk者の心理的苦悩は大きい。そこで当会は当事者たちが悩みを打ち明け互いに励まし合う場として機能してきた。さらに医療福祉分野の専門家からアドバイスを受け,日本語版ハンチントン病統一評価尺度の策定や臨床試験に協力し,新薬承認という成果を享受できた。一方,患者会との関わり方は当事者と医療関係者とで異なる。双方の立場を経験した自身の経験から患者会と医療関係者との誤解や過剰な期待を避け,良好な関係性を保つための相互理解について提案したい。
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3. |
難病支援制度
(渡辺保裕・原田孝弘・佐々木貴史・中島健二) |
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難病は疾患自体が希少で,治療法が十分に確立されていない。神経難病患者は医療保険制度または後期高齢者医療制度の他に 「難病法」,「介護保険法」,「障害者総合支援法」 に関わる社会保障制度・サービスを利用する機会が多い。在宅,施設,入院での生活を送る際に,それ以外にも種々の医療・福祉制度を利用することが可能である。難病の医療・福祉関係者には,これらの支援制度を熟知し,職種間で協力しあうことが望まれる。本稿では遺伝相談,就労支援,災害支援を含めて難病支援制度を概説する。
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4. |
遺伝性神経難病の研究に関する倫理的諸問題
(武藤香織) |
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本稿では,精神・神経遺伝医学研究の適切な実施に必要な倫理的諸問題について解説する。本邦における2つの研究倫理指針について紹介したうえで,研究を実施するうえでの原則,倫理審査委員会の役割,治療と研究との誤解,インフォームドコンセント(アセント)の意義,遺伝情報の返却,個人情報保護法改正などについて解説する。
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5. |
社会とともに進めるゲノム医学研究のあり方 - ゲノムデータの共有と研究への患者参加を中心に
(加藤和人) |
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変化の激しいゲノム医学研究を,社会の中で信頼を得て発展させていくためには,様々な点に対する配慮が必要である。政府倫理指針を遵守し,適切な手続きに基づいて研究を進めることに加えて,国際的なデータ共有の動向や患者参加型の研究の仕組みづくりなど,これまであまり注目されていない活動に目を向けることも必要になる。本稿では,ゲノム医学の今後の発展に必要となる新しい動きを紹介する。
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●索引 |