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内容目次 |
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序文 (横溝岳彦) |
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●第1章 技術編 |
1. |
脂質抽出法
(奥野利明) |
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脂質は,タンパク質,核酸,糖質などと同様に,生体の重要な構成物質であり,その生理作用は多岐にわたっている。しかし,脂質は他の生体物質と異なり,その多くは水に不溶であり,抽出や精製に有機溶媒を必要とするため,取り付きにくい生体成分であると考える研究者も多い。本稿では脂質分析の入門として,脂質の分類や基本的な取り扱い方から,有機溶媒を用いた脂質の抽出法,有機溶媒を用いた脂質分画,カラムクロマトグラフィー法を用いた脂質の精製方法を概説する。
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2. |
脂質質量分析の基礎
(田口 良) |
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脂質質量分析によるリピドミクスでは,多数の脂質構成分子を包括的・網羅的に分析し,そのプロファイルを比較することにより,現象に関与する可能性の高い因子を探り出すことをめざしているが,質量分析測定においては,どこにでも検出されるような多量に存在する分子ばかりが検出され,微量ではあるが非常に重要な分子が容易に検出されない場合も多い。そこで脂質分析では,ターゲットを定めない包括的・網羅的という手法とは逆に,何を主とした検出対象とするかについて意図的にフォーカスする手法や,ターゲットとして限定する手法が重要になってきている。
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3. |
リン脂質の質量分析解析法の新展開
(池田和貴) |
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リン脂質は,クラス,分子種,酸化修飾などによって,それぞれ存在量が大きく異なるために,解析の対象や目的に合わせて最適な LC-MS 分析法を選択する必要がある。従来の脂質メタボロームのアプローチとして,Non-Target(包括的)解析法,Focusing 解析法,Target 解析法などがあり,検出の感度・精度や探索範囲において,それぞれ特徴がある。一方,われわれは新たな Target discovery 型の解析法に取り組んでいる。本手法では,高網羅的に脂質分子種のMS/MS データを取得し,上記の従来の解析法をいくつか組み合わせることで,未知を含めた網羅的な脂質代謝物の探索が可能となってきた。将来的に,Target discovery 解析法が脂質メタボロームの重要なアプローチの1つになると考えられる。
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4. |
リゾリン脂質の質量分析解析
(奥平倫世・井上飛鳥・青木淳賢) |
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リゾリン脂質は脂質メディエーターとして生体内で重要な役割を担っていることが明らかになってきている。これらのリゾリン脂質の機能を明らかにするためには,分子そのものの同定および定量が必要である。近年,高速液体クロマトグラフィーの分離技術の向上や質量分析計の普及によって生体中のリゾリン脂質を分析することが可能となった。本稿では,現在主流となっているLC-MS を用いたグリセロリゾリン脂質の分析系について概説する。
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5. |
スフィンゴ脂質の蛍光分析法・自動分析法
(蔵野 信・大川龍之介・矢冨 裕) |
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スフィンゴ脂質はセラミドやスフィンゴシン-1-リン酸をはじめとして,強力な生理活性をもつことが近年の基礎研究より判明してきている。現在,スフィンゴ脂質の測定法は質量分析法が普及しつつあるが,スフィンゴ脂質を臨床検査の現場で使用するには,より簡便な方法の開発が必要である。
われわれは,HPLC 法を用いたスフィンゴシン-1-リン酸の測定,酵素法を用いたスフィンゴミエリンの測定を将来の臨床検査への応用を念頭において行っている。本稿では,これらの測定法について紹介する。
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6. |
スフィンゴ脂質の質量分析法
(富岡佳久・鈴木直人・三枝大輔) |
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近年,生体試料中の生理活性スフィンゴ脂質およびグリセロリン脂質分子種の高感度かつ選択的な分析を目的として質量分析装置を駆使する方法が試みられており,特に液体クロマトグラフィー/エレクトロスプレーイオン化法タンデムマススペクトロメトリーが有効であることがわかってきた。本稿では代表的なスフィンゴ脂質の質量分析装置を用いた分析法の歴史を概説し,続いて生体試料からスフィンゴ脂質を分析するための具体的な測定手順や注意点を述べる。
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7. |
質量分析計によるエイコサノイド類の一斉定量分析法
(北 芳博・清水孝雄) |
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生体試料中に含まれるエイコサノイド類を高感度に一斉定量分析する手法として三連四重極型質量分析計を用いた液体クロマトグラフィー質量分析法が有用である。本稿では,実際に同手法を導入するために必要な,生体試料からのエイコサノイドの抽出,固相抽出による前処理,逆相クロマトグラフィーにおける特性,質量分析計におけるイオン化とフラグメンテーションに関して具体例を挙げながら解説し,筆者らの開発したエイコサノイド一斉定量分析システムの原理と特徴について紹介する。
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8. |
質量顕微鏡
(永田泰之・井手佳美・瀬藤光利) |
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質量顕微鏡は,質量分析によって得られる生化学情報と顕微鏡観察による形態情報を融合させる新しい技術である。近年,生体内における脂質および脂質代謝物の多様な機能が注目されている。質量顕微鏡により組成の異なる脂質の網羅的な解析が可能となり,未知の物質においても局在情報を失わずに観察することができるようになった。この技術により生体内の脂質および脂質代謝物の機能的な解析が進み,医学分野での発展が期待される。
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9. |
脂質質量分析の高感度化
(中西広樹) |
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ESI(エレクトロスプレーイオン化)より生成されたイオンのうち,質量分析計に送り込まれるイオンは全体の1%以下であり,さらに検出器まで到達するのは103 〜105 個に1個の割合にすぎない。流速感応型の検出器である質量分析計の感度はピーク頂点での成分濃度に比例する。つまり,高い感度を得るには幅が狭く対称性に優れたピークを溶出させ,さらに可能なかぎり対象成分の拡散防止とノイズ除去をしてあげればよい。本稿では,脂質質量分析の高感度化として「高イオン化」,「高分離化」,「低ノイズ化」の方法について概説していく。
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10. |
脂質分子に対する免疫原の作製と抗体の産生
(横田一成) |
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生体の脂質分子は,燃料分子,生体膜成分,そして生理活性脂質に分類され,これまでに,それぞれに構造の異なる多彩な分子が発見されている。標的の脂質分子の生体内での新規な役割の解明のため,今後,新規で微量な脂質分子,あるいは一過性の代謝中間体などの検出や定量測定の必要性も増加するものと考えられる。本稿では,標的の脂質分子に対する抗体の作製法に関して,われわれがプロスタグランジン(PG)について行ってきた研究手法も含めて,これまでに報告されている研究法を整理して概説する。
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11. |
TGFα切断を用いたGPCR活性化の新しい検出法
(井上飛鳥) |
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生理活性脂質の大半は,G タンパク質共役型受容体(GPCR)を介してその機能を発揮する。しかし,これまでにGPCR の活性化を網羅的に測定する手法は開発されていない。われわれは最近,トランスフォーミング増殖因子α(TGFα)の膜前駆体からのエクトドメイン切断を指標に,GPCR の活性化を高精度かつほぼ網羅的に検出する手法を確立した。本稿では,TGFα 切断アッセイと名づけたGPCR 活性化の検出法を概説する。
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12. |
DNAマイクロアレイ解析による脂質メディエーターの機能研究
(瀬木(西田)恵里) |
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DNA マイクロアレイ解析は一度に数万の遺伝子発現を網羅的に解析する手法である。脂質メディエーターによる細胞・組織での機能変化を同定するために,マイクロアレイ解析は,第一に脂質メディエーターの下流で働く未知のシグナルやその因子を同定するツールとして,第二にシグナルの変化全体から当該の脂質メディエーターの生物学的意義を推定するツールとして有用である。マイクロアレイデータから得られる膨大な遺伝子発現情報から,様々な解析法を用いて脂質メディエーターによる生体反応を予想し再構築することが次の解析への糸口となる。
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13. |
脂質メタボロミクス
(有田正規) |
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ランニングコストが低いメタボロミクスはバイオマーカー探索やコホート研究に適している。本稿では代謝物を「同定する」ということの意味について述べてから,脂質メタボロミクスを支えるインフォマティクス技術を紹介する。質量分析装置に付随するソフトウエアが出力するデータ形式の変換からピーク抽出,スペクトル検索,同定に至るまで必要なソフトウエアやデータベースとその特徴を解説する。またメタボロミクス研究の国際動向を最後に紹介する。
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●第2章 モデル動物編
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1. |
ゼブラフィッシュを用いた脂質メディエーター研究
(久野 悠・川原敦雄) |
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ゼブラフィッシュは遺伝学的な解析に適したモデル脊椎動物である。これまでゼブラフィッシュゲノムにランダムな変異を導入し器官形成過程に異常を示す突然変異体を樹立し,その原因遺伝子を同定する順遺伝学的解析が行われてきた。この過程で,脂質メディエーターのin vivo での新しい生理機能が明らかとなった。最近,ゼブラフィッシュにおいて人工ヌクレアーゼによる遺伝子改変が効率よく誘導できることが示され,逆遺伝学的解析も可能となってきている。脂質メディエーターは代謝酵素,輸送体および受容体により時空間の機能制御を受けると考えられるが,それら関連分子を網羅的に破壊したゼブラフィッシュ変異体のin vivo 解析から,脂質メディエーターの新しい生理機能が見出されると期待される。本稿では,ゼブラフィッシュの順遺伝学的解析から明らかにされた脂質メディエーターの新機能と,現在注目されているゲノム編集技術のモデル生物への応用について紹介する。
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2. |
ショウジョウバエと脂質研究
(山本真寿・従二直人・加藤詩子・梅田真郷) |
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昆虫は全動物種の約 2/3 に相当する巨大な生物群であり,多様な環境に対して他の生物種とは独自の生理システムを発達させることで適応している。ショウジョウバエは遺伝学のみならず発生や行動の分野においても重要な位置を占めるモデル生物であり,ヒトの疾患遺伝子の多くが保存されていることから病理モデルとしても注目されている。しかし,脂質など遺伝子の二次産物についての知見は限られている。本稿では脂質研究の観点からショウジョウバエを用いる有用性と,そのユニークな脂質組成に着目した筆者らの研究結果について概説したい。
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3. |
線虫を用いたホスファチジルイノシトールの脂肪酸組成を規定する酵素群の同定
(今江理恵子・三谷昌平・新井洋由) |
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線虫 C. elegans は非常にシンプルな体構造を有するモデル生物であるが,ゲノム解析の進展,脂質メタボローム解析の発展などから,ヒトの脂質代謝モデル系として極めて有効な生物であることが明らかになってきた。われわれは最近,線虫を用いた解析から,古くから知られていたホスファチジルイノシトール(PI)の特徴的な脂肪酸組成を規定する酵素群を同定することに成功した。これにより,PI がなぜ特徴的な脂肪酸組成を有するのか,その生物学的意義に迫ることが初めて可能となった。
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●第3章 基礎編
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1. |
細胞膜リン脂質とPAF生合成経路
(進藤英雄) |
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生体膜の主成分はリン脂質であり,細胞や環境に応じて多種多様である。リン脂質の多様性は細胞機能と密接に関係していると考えられている。1950 年代にリン脂質生合成経路(ランズ回路)が提唱され,50 年以上を経た現在になり,ようやく最終ステップの酵素遺伝子群,リゾリン脂質アシル転移酵素が発見された。様々な基質特異性を有す複数のリゾリン脂質アシル転移酵素が,適切に発現調節を受け,バランスよく実際の膜組成に特徴を与えているようである。近年,生体膜生合成研究は分子同定から生化学的解析へと飛躍的に進み,さらに生物学的解析へ発展しつつある。
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2. |
ホスホリパーゼA2酵素群
(村上 誠) |
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ホスホリパーゼA2(PLA2)はグリセロリン脂質のグリセロール骨格2 位のアシル結合を加水分解し脂肪酸とリゾリン脂質を生成する酵素群の総称であり,哺乳動物のゲノム上には30種類以上のPLA2 もしくは類縁酵素の遺伝子がコードされている。PLA2 分子群のうち,細胞質PLA2(cPLA2:6種類),Ca2+ 非依存性PLA2(iPLA2:9種類),分泌性PLA2(sPLA2:11種類)は三大ファミリーを形成する。誌面の都合上,本稿では特に長い間機能が不明確であったsPLA2 分子群の病態生理との関わりについて,筆者らの最新の研究成果を中心に紹介したい。
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3. |
創薬の標的としてのプロスタグランジン最終合成酵素群
(佐々木由香・原 俊太郎) |
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様々な生理活性を示すプロスタグランジン(PG)類は,生体膜リン脂質からホスホリパーゼA2 によって切り出されたアラキドン酸に,シクロオキシゲナーゼ(COX)およびPG 最終合成酵素が作用して生合成される。非ステロイド性抗炎症薬が,COX を阻害しPG 類の産生を抑制することでその作用を発揮する一方,生体恒常性維持に関わるPG 類の産生をも抑制するために様々な副作用を示すことが問題となっている。このため新たな創薬の標的としてPG最終合成酵素が注目されつつある。本稿では,種々のPG 最終合成酵素について,最近明らかになりつつある疾患への関与を中心に概説する。
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4. |
リゾリン脂質の産生経路
(雪浦弘志・奥平真一・巻出久美子・青木淳賢) |
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近年,リゾホスファチジン酸(LPA),スフィンゴシン1 リン酸(S1P),リゾホスファチジルセリン(LysoPS),リゾホスファチジルイノシトール(LPI)などのリゾリン脂質が生理活性脂質として機能し,生体内で重要な役割をもっていることが明らかになってきた。これらの生理活性脂質はGPCR という共通のプラットフォームを介して作用を発揮するのに対し,その産生系は多種多様であり,その機能の本質を理解するためには産生系(産生酵素)の解析がキーとなる。本稿では現在までにわかっているリゾリン脂質の産生経路について概説する。
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5. |
リゾリン脂質に対する受容体
(可野邦行・井上飛鳥・石黒 純・青木淳賢) |
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リゾリン脂質の多彩な生理作用は細胞膜上のG タンパク共役受容体を介して誘導される。この10数年でリゾリン脂質受容体は追試されていないものも含めると20以上が報告され,その機能も遺伝子改変マウス,モデル生物そしてヒト遺伝病の解析から徐々に明らかになってきた。現在,これらの知見を元にS1P やLPA をはじめとしたリゾリン脂質受容体をターゲットとした創薬研究が国内外のグループによって精力的に行われている。そこで本稿では,リゾリン脂質受容体の中で,LPA,LPI,そしてLysoPS に対する特異的受容体の性状およびその機能に関する最新の知見を報告する。
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6. |
血小板活性化因子(PAF)受容体
(石井 聡) |
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血小板活性化因子(platelet-activating factor:PAF)は血小板凝集や白血球活性化をはじめ,多彩な生理活性を示す脂質メディエーターである。PAF は,細胞膜上のG タンパク質共役型受容体に作用することで生理活性を示す。われわれが行ったPAF 受容体欠損マウスの解析から,PAF がマクロファージ系の細胞を介して骨粗鬆症と多発性硬化症の病態に関連することを示唆する結果を得た。現在までに開発されてきたPAF 受容体アンタゴニストは,これら疾患に効果を発揮する可能性がある。
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7. |
スフィンゴシン1-リン酸の代謝経路
(木原章雄) |
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スフィンゴシン1- リン酸(S1P)は細胞の内外で多彩な役割をもつ生理活性脂質である。S1P はスフィンゴ脂質代謝産物であり,スフィンゴ脂質骨格セラミドの加水分解から生じたスフィンゴシンがスフィンゴシンキナーゼによってリン酸化されることにより生じる。S1PはS1P ホスファターゼによる脱リン酸化,S1P リアーゼによる開裂のいずれかの分解系によって代謝されるか,細胞外へ放出されて脂質メディエーターとして機能する。S1P リアーゼ経路によって分解されたS1P は最終的にはグリセロリン脂質に代謝される。本稿では最近明らかとなったS1P の代謝経路の詳細を解説する。
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8. |
スフィンゴシン1-リン酸受容体
(大日方 英・Timothy Hla) |
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スフィンゴシン1- リン酸は,心血管系,免疫系,神経系などにおいて多彩な生理作用を発揮する生理活性脂質である。スフィンゴシン1-
リン酸の多彩な生理作用の大部分は,5 つのサブタイプからなるG タンパク質共役型受容体S1P1〜S1P5 によって担われている。特にS1P1 受容体は,リンパ球のトラフィッキングに重要な役割を果たすことから,免疫抑制薬開発のターゲットとして注目を集めている。本稿では,各受容体の主な生理作用,最近明らかにされたS1P1 受容体の結晶構造解析について,および受容体調節薬の開発状況について述べる。
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9. |
プロスタノイド受容体の作用機序と中枢における意義・役割
(稲住知明・土屋創健・杉本幸彦) |
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プロスタノイドはプロスタグランジン(PG)とトロンボキサンの総称であり,それぞれ特異的な受容体を介して多彩な作用を発揮する。近年,受容体欠損マウスや特異的作動・遮断化合物を用いた解析から,それらの生理的意義が分子レベルで解明されてきた。特に中枢のプロスタノイドは発熱のみならず神経炎症にも関与することが見出され,多くの神経変性疾患における病態形成トリガーとして注目を集めている。本稿では,中枢におけるプロスタノイドとその受容体の役割やそのメカニズムについて最新の知見を概説するとともに,創薬標的としての方向性・有用性について考察したい。
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10. |
ロイコトリエン受容体
(横溝岳彦) |
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ロイコトリエンはアラキドン酸から産生される生理活性脂質で,白血球走化性亢進,血管透過性亢進,平滑筋収縮を介して炎症・免疫反応を促進する。少なくとも4 種類(BLT1,2,CysLT1,2)の細胞膜受容体が同定され,受容体欠損マウスの表現型解析から,幅広い炎症性疾患の治療薬の標的として注目されている。事実,複数のCysLT1 受容体拮抗薬はすでに臨床医学の現場で用いられている。BLT2 受容体を活性化する新しい脂肪酸やGPR17 という不思議な受容体も見出され,ロイコトリエン受容体研究は新しい展開を見せている。
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11. |
カンナビノイド受容体とその内在性リガンド
(杉浦隆之・谷川 尚・岡 沙織) |
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大麻(マリファナ)には多彩な生物活性・薬理活性があるが,その多くは特異的な受容体を介したものであることが明らかになっている。この受容体(マリファナ受容体)は,正式にはカンナビノイド受容体と呼ばれている。カンナビノイド受容体には神経系を中心に発現しているCB1 受容体と,炎症・免疫系を中心に発現しているCB2 受容体の2種類がある。最近,これらの受容体が生体内で重要な役割を演じているということが明らかになってきた。カンナビノイド受容体の内在性リガンドとしては,これまでにアナンダミドと2-アラキドノイルグリセロールの2つが明らかにされているが,構造活性相関の結果などから,真の内在性リガンドは2-アラキドノイルグリセロールであると考えられるようになってきている。本稿では2-アラキドノイルグリセロールに特に焦点を当て,その作用・代謝・生理的意義・関連物質の臨床応用などについて触れてみたい。
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12. |
GPCR型脂肪酸受容体
(平澤 明) |
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オーファンG タンパク質共役型受容体(GPCR)に対するリガンド探索研究の結果,各種脂肪酸をリガンドとする新規の受容体ファミリーの存在が明らかになった。短鎖脂肪酸をリガンドとするGPR41(FFAR3),GPR43(FFAR2),中鎖脂肪酸に対するGPR84,中-長鎖脂肪酸に対するGPR40(FFAR1),GPR120 がそれぞれ見出されている。この脂肪酸受容体ファミリーは,生体内での各種脂肪酸に対するセンサーとして重要な生理的な機能を果たすことが明らかになり,これらを標的とした化合物の開発も活発に進められている。
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13. |
イノシトールリン脂質とイノシトールリン脂質代謝酵素
(木村洋貴・小藤智史・佐々木雄彦) |
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ホスファチジルイノシトールとそのリン酸化による派生体はホスホイノシタイド(PIs)と総称され,タンパク質の局在や活性の制御を介して多くの細胞機能の調節に関与している。最近,遺伝子改変マウスやヒトの疾患遺伝子解析から,PIs 代謝酵素の活性の変調が種々の疾患の原因や病態に深く関与することが明らかになってきた。ClassⅠ PI3K 阻害薬は治験に移行しているものの,知見の集積が十分とは言えないPIs 代謝酵素が多く,どのような脂質の代謝異常がどのようにして病態を形成しているのかという疾患成立機構の全容の解明が,創薬を含む治療法開発につながると期待される。
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●第4章 臨床編 |
1. |
呼吸器疾患と脂質メディエーター
(町田健太朗・貞村ゆかり・井上博雅) |
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脂質メディエーターはシグナル分子としての役割を有しており,様々な疾患の病態に深く関与している。アラキドン酸を基質として生成されるプロスタノイドやロイコトリエンなどの炎症性脂質メディエーターや,リポキシンやエイコサペンタエン酸(EPA),ドコサヘキサエン酸(DHA)より合成されるレゾルビンやプロテクチンなどの抗炎症性脂質メディエーターが,呼吸器疾患の発症や重症難治化の機序に大きな役割を担っていることが分子レベルで解明されてきている。今後,現在の治療では十分なコントロールが得られない患者や有効な治療法のない難治性呼吸器疾患に対する創薬への応用が期待されている。
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2. |
腸管免疫疾患における脂質メディエーター
(田尻 創・清野 宏・國澤 純) |
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食餌性成分の代謝・吸収部位であり,かつ腸内細菌の存在している腸管には,免疫学的な恒常性維持を担うための多種多様な免疫担当細胞が配備されている。一方で,腸管免疫システムの有する恒常性維持機構の破綻は,食物アレルギーや炎症性腸疾患などの免疫疾患の発症につながる。現在,免疫制御因子としての脂質が注目されており,その実体解明に向けた精力的な研究が進められている。本稿においては,脂質メディエーターであるスフィンゴシン1 リン酸(S1P)を中心に,脂質を介した腸管免疫の制御と免疫疾患との関連について概説する。
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3. |
スフィンゴシン-1-リン酸と循環器疾患
(多久和 陽) |
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スフィンゴシン-1-リン酸(S1P)は,5種のG タンパク質共役型受容体S1P1 〜5 を介して多彩な作用を及ぼす。受容体やS1P 代謝酵素の遺伝子改変マウスの解析によりS1P シグナル系の作用の解明が進み,S1P シグナル系の主要な標的は血管と白血球・炎症細胞であることが明らかになってきた。血管では,S1P シグナル系は,受容体特異的に血管形成や血管バリア機能の調節,および動脈硬化や内膜肥厚の病態に関与している。S1P 受容体作動薬や酵素阻害薬の血管疾患の治療への応用が期待される。
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4. |
病態時の血管・リンパ管新生と脂質メディエーター
(馬嶋正隆) |
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血管新生は基底膜の分解から新生血管の形成に至る一連の生体反応であり,がんをはじめとする多くの病態との関連が深い反応である。生体内での血管新生に,プロスタグランジン(PG)が重要な役割をもつことが判明した。骨髄より動員されたマクロファージ,線維芽細胞がEP3 受容体を介して強力な血管新生因子である血管内皮細胞増殖因子(VEGF)を誘導することが重要であった。血管新生に加えて,リンパ管新生の病態生理学的な意義に急速に注目が集まりつつある。炎症巣および腫瘍組織において,cyclooxygenase-2 (COX-2)由来のPGE2 がEP3 およびEP4 受容体を介してリンパ管新生を増強していることが判明した。二次性のリンパ浮腫をミミックするマウス尻尾皮下組織掻爬モデルでも,COX-2 由来のPG がリンパ管新生増強作用をもち,浮腫を抑制していることが明らかになった。PG およびその受容体シグナリングが,病態時の脈管新生を制御する治療標的となることが大いに期待できる。
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5. |
慢性疼痛創薬標的としてのリゾホスファチジン酸
(植田弘師・永井 潤) |
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脂質メディエーターが痛みの制御因子であることは古くから知られており,炎症性疼痛メディエーターとしてのプロスタノイド,鎮痛メディエーターとしてのカンナビノイドに加え,慢性疼痛メディエーターとしてのリゾホスファチジン酸(LPA)が構成因子である。昨今ではLPA は慢性炎症にも関与する可能性が報告され,幅広く慢性疾患原因分子としての役割が確立しつつあり,同時に創薬標的として注目されている。本稿では,慢性疼痛時のLPA の合成や作用機構に着目し,その最近の研究成果を紹介する。
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6. |
痛みとプロスタグランジン・ロイコトリエン
(野口光一) |
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脂質メディエーターであるプロスタグランジン(PG)とロイコトリエン(LT)がどのようなメカニズムで疼痛に関与するか,分子レベルでの研究成果をまとめた。一次知覚ニューロンの末梢組織側神経終末における興奮性の増加,いわゆる末梢性感作機構にどのようにPG やLT が関与しているか,10数年前に発見されたTRP チャネルなど疼痛関連タンパクとの関連を解説する。脊髄における疼痛伝達機構における興奮性増加,つまり中枢性感作のメカニズムにおいても脂質メディエーターが重要な役割をもっていることは間違いない。PG に関しては1990年代より多くの報告があるが,LT に関しては著者の教室を含めて報告はかなり少ない。今後の研究が待たれる分野である。
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7. |
皮膚免疫反応と脂質メディエーター
(椛島健治) |
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脂質メディエーターは,ホメオスタシスの維持や病態形成に重要な役割を果たしている。近年,各合成酵素・受容体の遺伝子改変マウスや選択的薬物の開発により,脂質メディエーターの皮膚免疫・アレルギー疾患における生理的病態的役割の解明とその臨床応用が目覚しく進んでいる。本稿では,接触皮膚炎・アトピー性皮膚炎・蕁麻疹などの皮膚免疫・アレルギー疾患や反応における脂質メディエーターの役割を解説する。脂質メディエーターは状況に応じて極めて多彩な役割を果たすことが大きな特徴である。
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8. |
脂質メディエーター関連遺伝子の変異による遺伝性毛髪疾患
(下村 裕) |
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縮毛症は,頭髪が過度に縮れ,成長が数センチで止まってしまうことが特徴の先天性毛髪疾患の1 つである。縮毛症の患者では,毛髪量が減少する乏毛症を合併することが多い。近年,常染色体劣性の遺伝形式を示す非症候性の縮毛症/ 乏毛症が,脂質メディエーター関連遺伝子であるlipase H(LIPH )遺伝子もしくはlysophosphatidic acid receptor 6(LPAR6 )遺伝子の変異によって発症することが報告された。さらに日本人の本症患者では,LIPH 遺伝子に共通の創始者変異が非常に高頻度で同定されることが判明した。
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9. |
n-3系脂肪酸の代謝と抗炎症作用についてのメタボローム解析
(磯部洋輔・岩本 涼・有田 誠) |
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アラキドン酸やEPA,DHA などの多価不飽和脂肪酸は,酵素的な酸化反応により生理活性を獲得し,脂質メディエーターとして炎症反応を正と負に制御している。炎症を基盤病態とする様々な疾患について理解するためには,これらの多種多様な代謝物の生成量を総合的に捉えることが重要である。本稿では,こうしたメタボローム解析を可能にしたLC-MS/MS による代謝物の包括的測定法について解説する。また,そこから見えてきたn-3 系脂肪酸に特異的な代謝経路および新規の抗炎症性代謝物について紹介する。
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10. |
PLA2G6遺伝子変異と神経変性疾患
(新沢康英・辻本賀英) |
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PLA2G6 遺伝子変異が,ヒト遺伝性の神経変性疾患であるINAD(infantile neuraxonal dystrophy,乳児型神経軸索ジストロフィー)やNBIA(neurodegeneration with brain ironaccumulation,鉄沈着神経変性症)で報告され,さらに近年,家族性パーキンソン症候群の原因遺伝子としても同定されている。これらの疾患の臨床症状や病理学的特徴の一部はPLA2G6 遺伝子ノックアウトマウスでも再現され,PLA2G6 遺伝子の神経組織での生理的・病理的役割について近年注目が集まっている。
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11. |
大動脈瘤の進展とPGE2
(横山詩子・石川義弘) |
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大動脈瘤は動脈硬化性疾患の重篤な合併症であり,近年,高齢者の増加に伴い患者数が増加している。大動脈瘤は血管壁内の炎症と弾性線維をはじめとした細胞外基質の分解を特徴とする進行性の致死性疾患である。しかしながら,現在では外科的治療が主流であり,進行を抑制する薬物治療は存在しない。大動脈瘤の病変組織ではプロスタグランジンE2(PGE2)が多く産生されることが知られている。本稿では,PGE2 とその受容体シグナルが大動脈瘤の進行に寄与するメカニズムと,PGE2 受容体拮抗薬がその進行を抑制する可能性について,われわれの知見を交えて概説する。
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