序文
   

タンパク質の生物機能解析を行うために

 ヒトゲノムの総数がわかるとともに,全塩基配列の解読も終了し,いよいよポストゲノムの時代に突入した。製薬業界などをはじめとする各種企業が,こぞってヒト塩基配列の結果を疾患関連遺伝子の同定や予防医学にまで利用しようとする,いわゆる創薬ビジネスが大きなプロジェクトとなっている。一方,全ゲノムの塩基配列が明らかにされたことから,それらの翻訳産物であるタンパク質の網羅的な機能解析,すなわちプロテオミクスが方法論を中心に急速に展開しつつある。プロテオミクスとは聞き慣れない言葉だが,要するにプロテオーム(ゲノムに対応する言葉で生体内で作られる全タンパク質を意味する)の解明を目的とする研究全般を指す造語である。
 プロテオミクスを進めるための基本的戦略のなかで出発点となるのが,目的とするタンパク質の二次元電気泳動などによる分離・精製,あるいは塩基配列が既にわかっている場合には発現系の構築である。運よく成功したら,構造解析を行う準備は整ったといえる。第1章ではこれらについての方法論を説明し,構造の解明が機能解析にどれほど重要な情報を与えてくれるかを述べた。しかしながら,構造情報だけでは機能解析には不十分であり,実際にはタンパク質の細胞内動態を明らかにしなければ真の機能が見えてこない。
 タンパク質は細胞内では単独で機能をもつことは少なく,多くは時空間的な制御のなかで,同じタンパク質か異なるタンパク質あるいは金属イオンなどの低分子物質との相互作用のうえで機能を発現する。さらに,タンパク質は合成後,様々な翻訳後修飾を受けることにより,初めて機能を発現することも多い。従って,これらの現象を解析する技術が真の機能を明らかにするために必須となる。第2章ではタンパク質の細胞内動態を解析するための手法を中心に展開する。
 本章の構成は,まず初めに,タンパク質間あるいは低分子物質との相互作用を解析するための一般的な技術となってきたDPI(二面偏波式干渉計:dual polarization interferometer)と表面プラズモン共鳴センサーについて説明する。これらの技術は,特異的相互作用の結果生ずる構造変化あるいは質量変化を微量でリアルタイムに観察できる技術であり,後者については,質量分析法との組み合わせによる相手方タンパク質の同定までをオンライン化する技術が整いつつある。さらに,抗体あるいは化学標識リガンドを利用した相互作用解析もタンパク質の細胞内動態を明らかにするための欠かせない技術であり,特異性が高ければ飛躍的に研究が進展する。次に,個体レベルによる機能解析では,目的とするタンパク質を特異的に欠失させたり発現させたりすることにより示される表現型の異常を解析することで機能を明らかにする手法であり,興味ある結果が得られればインパクトの強いものとなる。細胞レベルによる機能解析では,目的とするタンパク質を可視化したりすることにより細胞内における時空間的な制御をリアルタイムで捉える最先端の技術を述べる。また,神経終末における伝達物質の放出に関わるタンパク質の機能解析については電気生理学的な手法を紹介する。一方,タンパク質の翻訳後修飾のうち,リン酸化による修飾と糖による修飾は細胞内情報伝達,タンパク質の局在,輸送などに直接関わる重要な現象であり,前者については検出法,後者については分析法を中心に解説する。
 本章で述べる技術は,ポストゲノム時代に突入してタンパク質の細胞内機能を迅速かつ正確に解析しようとするとき避けては通れない。しかし,ハイスループットで解析するためにはより高度な技術開発が常に課題となる。

大阪大学蛋白質研究所 助教授 新延道夫