ゲノム編集医療の黎明

真下知士
東京大学医科学研究所実験動物研究施設先進動物ゲノム研究分野/
システム疾患モデル研究センターゲノム編集研究分野

 いわゆるゲノム編集が初めて登場したのは意外に古い。1996年にジンクフィンガーヌクレアーゼ(ZFN)が人工制限酵素として登場した時には,今ほどの注目が集まらなかった。それ以前にはメガヌクレアーゼ(MN)や,2010年にはTALEヌクレアーゼ(TALEN)が登場したが,2012年のJennifer DoudnaとEmmanuelle CharpentierらがCRISPR-Cas9システムによるゲノム編集を発表してから,バイオサイエンス研究,農作物品種改良,エネルギー産業,医薬品開発など様々な分野へと一気に広がった。
 ゲノム編集研究においては,ZFN,TALEN,CRISPR-Cas9だけでなく,ゲノム編集基盤技術の開発競争がますます激化している。Class2に属するCRISPR-Cas9に加えて,Cas12(Cpf1),Cas13(RNA編集),Cas14(小型),Class1に属するCas3などのゲノム編集が報告されている。最近はDoudnaらにより小型のタイプV CRISPR-Casエフェクター様タンパク質CasΦ(Cas12J)が報告された。
 一方で,ゲノム編集を医療に応用するための一番の障害は,標的以外の遺伝子を編集してしまう「オフターゲット効果」である。これを低減するため,ゲノムを切らずに一塩基置換だけを導入するbase editorやTarget-AIDなどがゲノム編集医療に使われようとしている。さらに,より正確に,より長い変異を導入できるprime editorなども報告されている。CRISPR-Cas9システムを利用したエピゲノム編集や遺伝子発現制御なども行われており,ゲノム遺伝子を編集せずに,より安全に遺伝子治療を行う試みがなされている。
 米国ではすでに,エイズ患者のT細胞におけるHIVレセプターノックアウトなど複数のゲノム編集医療の治験が実施されている。英国の急性リンパ性白血病患児に対するTALENを使ったCAR-T療法,ムコ多糖症の患者体内に直接ZFNを投与するin vivo ゲノム編集治療など,世界ではゲノム編集の社会実装に向けた熾烈な開発競争が繰り広げられている。日本では,ゲノム編集基本特許が欧米に抑えられていることから,多くの製薬企業などは開発競争に後れていたが,日本発のゲノム編集技術CRISPR-Cas3が登場してきた。
 さらに最近では,CRISPR-Casシステムを使って核酸検出薬やウイルス感染診断薬の開発が進められている。実はこの技術はゲノム編集を直接利用するのではなく,ゲノム編集の際に近くの一本鎖DNAを切断するCas12,Cas13,Cas3などの性質を利用している。CRISPR診断薬は特殊な機械を必要とせず,短時間で検査ができる臨床現場即時検査(POCT:point-of-care testing)として利用することができる。世界的パンデミックとなった新型コロナ感染の迅速診断薬としても期待されている。
 本特集号では,ゲノム編集医療における,最新の開発動向,課題,未来展望について,それぞれの分野で活躍される第一線の研究者の方々にご執筆をお願いした。ゲノム編集の基本的原理や技術利用,研究開発成果を簡単にご説明いただき,最先端の知見,今後の医療応用や未来予測についてご記載いただいた。研究者のみならず生物学を専攻する学生や,現在医師をめざしている学生にもわかりやすいようご配慮いただいた。本特集号が,読者の皆さまにとって,これからますます進化するゲノム編集学を理解し,今後の医療開発研究に活かす契機になればと思う。