序文

  この度,遺伝子医学MOOK35号「ミトコンドリアと病気」が完成し,発刊される運びとなった。本書は,ミトコンドリア病に関わる臨床医,基礎・臨床の研究者,薬学研究者,製薬メーカー等企業の研究者,遺伝カウンセラー,学生,大学院生など,ミトコンドリア・ミトコンドリア病研究に関わる多くの関係者のために書かれたものである。
 本書のあらましを以下に述べる。総論はミトコンドリアおよびミトコンドリア病をやさしく解説した「ミトコンドリア入門」,ミトコンドリア関連疾患にスポットが当たるまでの「先天代謝異常症の歴史」に始まる。第1章の「ミトコンドリア病の診断」はミトコンドリア病の特殊診断,すなわち生化学診断,包括的遺伝子診断,病理診断(筋肉・肝臓),バイオマーカーであるGDF15も含めた最新の情報が網羅されている。第2章の「ミトコンドリア病の臨床病型」では,多くの臨床医が戸惑いやすい各臨床病型を取り上げている。特に次世代シーケンサーの導入によってもたらされた遺伝子診断の発展によって各臨床病型の情報は多く,以前の成書と比較すると大きく書き換えられてきている。どこの部分を読んでも十分な情報が盛り込まれているものと実感されると思う。また本邦で論じられることの少なかったミトコンドリア病に対する臓器移植治療(心臓移植,肝臓移植)についても各エキスパートに執筆をいただいた。また,通常「ミトコンドリア病」と呼ばれる呼吸鎖酵素異常(酸化的リン酸化異常)ではなく,ピルビン酸代謝異常に含まれるPDHC欠損症も本書では取り上げている。臨床的に関わる頻度は非常に高いためである。第3章の「遺伝カウンセリング・出生前診断」では遺伝カウンセリングや本症の出生前診断の現状,ミトコンドリア核移植など臨床上,極めて重要な事項を各エキスパートに執筆していただいた。特に遺伝カウンセラーや生殖医療の関係者は是非一読いただきたい。第4章では臨床の現場に即した「総論・代謝救急」,「ミトコンドリアカクテル療法」に加え,2019年4月に認可されたMELASに対するタウリン療法を取り上げた。その一方で現在開発中の治療法については,第5章「本邦における創薬開発」に6種類の治療薬を取り上げている。これから出てくる希望に満ちた内容となっている。第6章ではミトコンドリア病に関わる家族会・支援団体の活動について各代表者に執筆をお願いした。創薬事業,情報基盤プラットフォーム,患者・家族の会,いずれもミトコンドリア病診療を進めていくうえで重要な役割を担っている。第7章としてミトコンドリア病に関する基礎研究を取り上げた。いずれも日本を代表するミトコンドリア病研究のスペシャリストによるものであり,極めて読み応えのあるものになっている。特に本症の研究を志す若者たちにはご一読願いたい。
 本邦におけるミトコンドリア病・ミトコンドリア研究の熱は非常に高まっているといってよい。実際に日本医療研究開発機構;AMEDにおいて多くの実用化研究(創薬研究,病態解明研究,エビデンス創出研究)が進められている。ご存じの方々も多いと思うが,2017年に日本ミトコンドリア学会の強力な支援のもと,厚生労働省(現・日本医療研究開発機構;AMED)難治性疾患実用化研究「ミトコンドリア病診療の質を高める,レジストリシステムの構築,診断基準・診療ガイドラインの策定および診断システムの整備を行う臨床研究」を課題とした研究班(研究代表者 村山 圭)において「ミトコンドリア病診療マニュアル2017」が策定された。本邦で初めての多くの学会が関わった診療に直結する診療指針である。「ミトコンドリア肝症」の章は日本小児栄養消化器肝臓学会においてはガイドラインとして認定されている。その書が出版されて3年経ち,本書はそれからの3年間の医療の進歩を包含しているだけでなく,診療マニュアルで取り上げられなかった内容も多く執筆されており,ミトコンドリア病の患者さんの診療に関わる全国の医療従事者に対して,現在示すことのできる最大限の内容となっている。
 ミトコンドリア病に関して世界的にみて根治療法というべき治療は,依然として存在していない。しかしながら本書に取り上げた治療薬や創薬開発の現状をみると,ミトコンドリア病を取り囲む状況はまったく暗くない。私たちはミトコンドリア病の診療体制やミトコンドリア関連の研究を着実に前進させ,丁寧な診療や研究を積み重ねつつ,治療法の開発や新しい知見の発見などを積み重ねていくことであろう。そしてミトコンドリアの研究は何もいわゆる「ミトコンドリア病」にとどまらない。本書で多く触れることのできなかった,多くの神経変性疾患,悪性腫瘍,感染症や救命救急,老化・長寿などとミトコンドリアの関わりを含めると,その範囲は極めて広大である。本書は遺伝子医学に関する書ではあるが,そこに詰め込まれている内容・可能性は大きく広がる。本書が多くの方々にとって少しでも有益なものとなり,結果として多くの患者さんのために役立つことを切望する。
 最後に,本書の作成に関わってくれた執筆者の皆様,編集に深く関わっていただいた自治医科大学小児科 小坂 仁教授,帝京大学小児科 三牧正和教授,にはこの場を借りて深く感謝申し上げたい。

千葉県こども病院 遺伝診療センター・代謝科  村山 圭