刊行に寄せて


 
遺伝医療は医学の新しい領域であり、これまでの医学・医療の概念に加えて倫理、法、社会などとの接点が極めて多くかつ大きい。また、本書の第3部に取り上げられている課題からも理解できるように、国際的な視点を重視しなければならない分野である。私は1992年から10年間、ヒトゲノム解析国際組織(HUGO)の国際倫理委員会で委員(後半の5年間は副委員長)を務めた経験から、日本において医療と社会の関係に遺伝という問題意識を導入することの必要性を痛感してきた。
 日本の医学・医療において、遺伝は重視されてきたとはとうてい言えない分野である。医学部、医科大学などで「遺伝」を標榜している講座や研究室は近年増えつつある。十数年前までは、医学部医学科の遺伝学講座は大阪大学、筑波大学、兵庫医科大学の3校に限られていたが、最新の医育機関名簿では研究所などを含めれば80校中30校以上に広義の遺伝・遺伝子関係の講座や部門が設置されている。これはかつて免疫学や老年医学などの講座が新設された、新しい医学への発展期が再来したかの印象であり、遺伝医学・医療がいよいよ定着しつつあることの現れといえよう。
 私が生命倫理に関わるようになったのは、20年以上前の京都大学医学部在任中に「医の倫理委員会」の委員に任命されたからである。当時は委員の資格などの規定もなく、一人ぐらい医学部出身でない(私は理学部卒)委員がいたほうがよいからと選ばれた。しばらくして倫理的な判断を求められる議題の多くに遺伝が関与していて、医師や研究者がどのように対処すべきか戸惑っていることを感じた。遺伝を専門とする委員が私だけであったため、私はしばしばMcKusickのカタログを持参して、まず疾患を説明してから倫理的な問題点の審議に入り、後に最高裁判事になられた奥田昌道法学部教授(当時)から、すごい字引のような本ですねと感心されたりした。審議の過程では、欧米の文献による症例と日本の例では、それぞれの遺伝性疾患の頻度が異なったり、見かけ上の症状が一致しないなど、日本人(あるいはアジア人)の遺伝学についての検討が必要であったり、倫理観も欧米と日本では大きく異なることなどに毎回苦慮した。具体的には、世界保健機関(WHO)の指針と日本政府の3省指針は血縁者への告知で基本的に違っている。このような見地から、本書の計画には、日本人を対象とするとともに、日本の倫理観を西欧のそれと対比させるなどの、本格的な遺伝倫理の論議が初めて展開されることを高く評価したい。
 近年、遺伝子やDNAなどの言葉が世間に普及し、例えばこれまで社風や伝統などと表現されてきたのが「○○社の遺伝子」や「○○のDNA」などと書かれることが多く、本のタイトルだけでも数十冊になり、マンガやポルノ本まである。ところが「遺伝」という言葉は社会に全く広まっておらず、本のタイトルでも遺伝学の専門書以外には1冊もない。このことは遺伝医療と社会の関係を考えるうえで重視してほしい視点である。おそらく遺伝学の専門研究者以外のいわゆる学者であっても、「遺伝」には違和感があるのではないだろうか。本書がそのような大きなギャップを埋め、遺伝医療と社会の接点となって、遺伝を正しく理解していただく原点の役割を果たすことを期待したい。
武部 啓