特別寄稿 / 「遺伝子医学」復刊によせて

先見の明
小杉眞司
京都大学大学院医学研究科医療倫理学・遺伝医療学分野教授
      京都大学医学部附属病院遺伝子診療部/倫理支援部部長
      京都大学認定臨床研究審査委員会委員長
      日本遺伝カウンセリング学会理事長
      日本遺伝子診療学会理事長

 雑誌「遺伝子医学」(株式会社メディカル ドゥ)は,1997年7月に発刊された。第1号では,「遺伝子医学の最前線」のテーマで,京都大学医学研究科臨床検査医学の森徹教授をコーディネータとして発行されている。森徹教授は1994年末に河合忠自治医科大学臨床検査医学教授とともに遺伝子診療研究会(日本遺伝子診療学会の前身)を立ち上げられた。臨床検査医学領域において遺伝子解析技術を取り入れ,遺伝情報の医療応用を進めることを目的として設立したと聞いている。森徹教授は京大病院に遺伝子診療相談室(遺伝子診療部の前身)を1996年9月に設置されることにも尽力された。遺伝情報を専門的に取り扱うことができる診療部門が重要という先見的な洞察からと推測される。私は,米国NIH留学前に第二内科でお世話になっていた森徹先生が,検査部教授に就任されていたので,1993年留学後直ちに森研究室に帰国した。留学中にある遺伝性疾患の原因遺伝子を発見することができたこともあり,臨床検査の中でも新しい「遺伝子検査」の部門の担当をすることになった。このような縁により森研究室の助手として遺伝医学・遺伝子解析関連の領域に継続して関わらせていただくことになった。メディカル ドゥとの付き合いもこの雑誌「遺伝子医学」の発刊のころからと記憶している。「遺伝子医学」は,発刊以降季刊雑誌として精力的に発行されてきた。当時は遺伝情報の医学応用・医療応用は黎明期で,今後の発展に寄与すべく創刊されたものであったが,時期尚早の感もあり,やむなく2003年9月発行の第25号をもって休刊となった。
 2003年はヒトゲノム計画が終了し,その医療応用が始まろうとしていた時期だけに大変残念なものであった。日本では,「もうゲノムは終わった」,「ポストゲノム」などと言われ,ヒトゲノムプロジェクトにつぎ込まれていたかなりの予算がゲノム関連研究から引き揚げられることとなったことも,この停滞感に影響したと思われる。ゲノム科学はすべての医学研究の基盤であるべきであり,領域としての注目や流行とは異なることを国は認識していなかったのである。一方で,米国では2003年にヒトゲノム計画が終了した後は,それまでの莫大な予算を次世代シーケンサー技術の開発に投入した。その結果,2007年からの5年間で,ゲノム解析コストは10万分の1になるという進歩を遂げた。解析コスト・スピードが毎年1桁ずつ変わるという驚異的な状況は,遺伝医学の大きなパラダイムシフトをもたらしたといえる。それまで,一つ一つの候補遺伝子を調べていくというのが遺伝子解析・遺伝子検査であったが,一度に極めて多数,あるいはほぼすべての遺伝子を網羅的に解析する次世代シーケンサー技術は,genome-first時代の幕開けを告げるものである。臨床症状から調べる遺伝子を決める時代から,変わらない情報である全ゲノム配列をまず調べて,それから診療に役立つ情報を抽出する時代になるのである。これまでとは全く異なった考え方や対応が必要になることは間違いない。
 遅ればせながら,日本でもこの1,2年でゲノム医療の重要性が国レベルで認識されるようになってきた。特に本復刊号のテーマである「がんゲノム」はそのフロントランナーとして2019年度にも保険診療が始まろうとしている。しかし,難病領域を中心に,日本では保険診療はほとんど始まっていないといえる状況で,まだまだ現実的に課題は多く,ゲノム医療の臨床実装のために努力する必要がある。
 私は,日本遺伝子診療学会(遺伝子診療研究会)初代理事長(代表世話人)であった森徹先生のご意志を引き継いで,2017年より日本遺伝子診療学会理事長と日本遺伝カウンセリング学会理事長を拝命している。この度の雑誌「遺伝子医学」復刊とともに,先見の明をもった諸先輩方の意志を発展させて,若手研究者,若手遺伝医療関係者とともにわが国のゲノム医療実装のために寄与していきたい。
2018年7月31日