はじめに

 本書の執筆方針ですが、通常の教科書的な構成は採用していません。私自身の体験をもとに読者と一緒に考えながら、生命倫理学の世界に入っていきたいと考えたからです。本書の目的は教科書ではなく、副読本としての役割をめざしました。背景として第1の理由は、すでに立派な生命倫理学の教科書が多数出版されているからです。第2の理由として、私は自分の医療現場の体験から生まれた生命論的な人間の倫理行動発生仮説を提案したうえで、現場の倫理分析にすぐに役立つ技術理論を書きたいと思いました。このために私の専門である人類遺伝学や生命科学の体験を基にビーチャムの倫理学や遺伝カウンセリングの理論を採用しました。最後に第3の理由があります。かつて私はある大学で神学部と社会福祉系の大学院生を対象とした生命倫理学の講義を依頼され、気軽に引き受けたことがあります。当日、その大学に行き、教室に入った私は、20名ほどの学生さんに混じって、1番前の席に、かつて論文を読んだことのある著名な倫理学者が座っているのに気づきました。その大学の哲学科の教授と何名かの教室員の皆さんでした。「えっ、うそっ! 話が違う」と私は頭の中が真っ白になりました。私は臨床現場で多くの倫理的体験をしてきたつもりですが、けっして自分が生命倫理学の専門家とは思っていません。むしろ、哲学の専門家の話を聞かせてもらう立場です。専門家の前で講義ができるわけがありません。仕方ないので「ままよ」と腹を決め、準備してきた生命倫理学の講義資料を差し替えて、自分が経験した臨床事例について倫理的な判断を加えながら2時間ほどの講義をしました。講義が終了して、恐縮する私に対して、その教授は「先生の講義はすべて実際の体験からお話をされている。私たちは紙に書かれた資料をもとに分析をしています。この差はとても大きく、私たちには越えることができません。今日は本当に勉強になりました」とお世辞を述べられました。
 それから、私は「自分の体験をもとに倫理分析を行う講義法」に執着しています。本書もその考えで執筆しています。ただ、用いた事例は相当に昔の経験も含めて個人情報が特定されないよう、色々な配慮をさせていただいていることは許してください。看護や遺伝カウンセリングを学んでいる学生だけでなく、医師をはじめ医療従事者の方々が、正式な生命倫理学の教科書とは別に「副読本」として本書を読んでいただければ幸いと思います。
千代豪昭