第1章 はじめに
1) 本日の講演目標

さて本日、私たちに与えられたテーマは人間の「いのち」について勉強しようということです。しかも私の講演の後に宗教家の方とか、法律家の方が同じテーマでお話をされるそうです。私に与えられた役割は、「いのち」を自然科学の立場から話をすることだと考えています。
 地球上にどのようにして生命が生まれたかについては、1924年にオパーリンが無機質からアミノ酸ができることを証明して以来、アミノ酸から生物の基本物質であるタンパク質がどのようにして合成されるか、特に地球型生命のもととなる核酸、すなわちRNAやDNAの役割の解明など、生命科学が明らかにしてきた素晴らしいドラマがあります。その流れを解説するには1日ではとても足りません。そしてもう一つ、大切なことは、科学的な「生命現象」と、私たちが感じている「いのち」は必ずしも同一のものではないということです。
 「いのち」は大昔から人間にとって大きな関心事でした。物質と精神にプノイマ(生命)を加えたアリストテレスの3元論、物質と精神を中心に2元論を唱えたデカルトなど、古代ギリシャから近世に到るまで多くの哲学者が解明に取り組んできました。宗教が関与した時代もありました。近世ヨーロッパではダーウィンの進化論と産業革命を導いた科学主義が生命観に大きな影響を与え、さらに生命科学は近代医学の発達にも大きな影響を与えました。
 しかし、生命現象そのものにはまだ未知の領域が多く残っています。私は医師ですが、実践学問としての医療学は自然科学と社会科学の双方のバランスを重視します。「いのち」を考える時に自然科学だけに捉われてはいけません。私たち人間は高度に発達した社会生活を営んでいます。私たちが感じる「いのち」という言葉には人間が社会的活動を行ううえで作られた概念がたくさん混じっています。
 私の本日の役割は、生命科学の立場を明日の宗教家や法律家の先生の話に「つなぐ」ことにあると考えました。私は35年にわたって教壇に立ち、人類遺伝学や臨床遺伝学、生命倫理学を講義してきました。リタイアしてからも、まだ年に数十時間は若い医学生や看護学生を相手に講義をしています。それでも、今日のテーマは「難しいな」と思いました。
 皆さんは幅広い社会活動を行うボランティアグループの指導者として活躍されていると聞いています。明日の講義へのつながりだけではなく、皆さんが人間理解を深め、毎日のボランティア活動に役立つ話にしたいと思っています。念のためにパワーポイントは作ってありますが、準備にはこだわらず、皆さんのお顔を見ながら、時間が許す限り一緒に人間の「いのち」について考えましょう。
 キーワードは、「生命論からいのちを考える」、「人間とは」、「いのちの質」、「障害」、「先天異常」、「胎児医療」、「倫理と法律」、「生命倫理学」など盛りだくさんですが、わたしも頑張ってみたいと思います。