序文
  

 
 「薬物消化管吸収」は,私が学部4年生の時から長い間にわたって取り上げられてきたテーマである。国内外において,このテーマで数えきれないほど大小のシンポジウム,ワークショップが開催されてきた。また近年,消化管の代謝酵素や,排出トランスポーターの役割が明らかになってくるにつれ,その研究の数も飛躍的に多くなってきている。一方,この10年ほどの間に種々のシンポジウム,ワークショップに参加して感じることは,「理論的なこと,研究として面白いことは繰り返し同じ話が出てくるが,いずれも類似の切り口で,隔靴掻痒の思いが募り,『結局,ヒトの吸収を予測するために,具体的にどうすればよいのか?』という要望に応えられていない」ということである。この現状を打破すべく,私が委員長になり東大薬学系研究科にて,2009年1月「ヒトにおける薬物消化管吸収の予測」に関するシンポジウムを開催した。各演者に総説的な内容の講演を次々にしていただくことではなく,消化管吸収予測のために具体的に1つずつ解決策を示していくことを目的にした。
 経口用の医薬品の開発段階において,候補化合物のバイオアベイラビリティ(F)が低いことが明らかとなった場合に,それが薬物の吸収性の低さに起因するのか,あるいは消化管・肝臓の初回通過代謝・排泄や,消化管でのトランスポーターによる排出に起因するのかを知ることは非常に重要である。もし吸収性に問題があると判断された場合には,微粉化あるいは吸収促進剤の添加など種々の製剤的工夫を施すことにより,Fを上昇させることが可能であると考えられる。一方,Fの低さが消化管・肝臓の初回通過代謝・排泄に起因すると判断された場合には,上記のような製剤的工夫によるFの上昇はほとんど期待できない。この場合は,初回通過代謝・排泄を回避するような投与経路に変更することが必要となることが多いであろう。このような可能性を開発初期段階で知るために,Caco-2細胞,ヒト単離肝細胞,ヒト肝あるいは小腸ミクロソーム,ヒト酵素発現系,ヒトトランスポーター発現系などを用いて調べる必要性が認識されはじめている。本シンポジウムにおいては,受動輪送による生体膜透過性,溶解特性と吸収率との関係,種差の壁,代謝酵素,トランスポーター(吸収方向と排出方向)の飽和性,薬物間相互作用,製剤添加剤の吸収過程への影響の解析などについて多くの議論を重ね,予測のための具体的提案を演者の方々にしていただいた。
 本シンポジウムに来られていたメディカルドゥ遺伝子医学の大上均様より,本書「薬物の消化管吸収予測研究の最前線」のご提案をいただき,山下伸二先生,森下真莉子先生が編集をお引き受け下さった。本書は,シンポジウムの演者に加えて,本領域の最先端で活躍中のアカデミア・企業のエキスパートの方々に執筆者になっていただいた。貴重な時間を割いて快くお引き受け下さった先生方に心よりお礼申し上げたい。
 本書は,製薬企業における研究者(薬物動態,製剤,DDS,医薬品化学,薬理,臨床開発),大学において創薬動態・製剤に関わる基礎・実用研究をめざしている研究者,トランスレーショナルリサーチに従事する薬学・医学・工学の研究者,病院薬剤師の皆さんに読んでいただきたいと考えている。

東京大学大学院薬学系研究科 教授 杉山 雄一