序文
 

 バイオ医薬品の多くは,生物(哺乳類細胞,ウイルス,バクテリアなど)が産生するタンパク質を有効成分とする。糖尿病治療に用いられるインスリンは最もよく知られたバイオ医薬品の1つである。1980年代までは動物から抽出されたインスリンが使用されていたが,1982年に組換え遺伝子技術によって大腸菌からヒトインスリンが作り出された。その後,天然型インスリンのアミノ酸配列を一部変換することにより,吸収速度の速い速効型インスリンや作用が持続する長時間型インスリンなどの誘導体も生産されている。現在では,大腸菌のみならず真核細胞である酵母や糖鎖付加が可能な動物由来細胞などがバイオ医薬品生産に用いられる。特定の物質や分子だけを認識するモノクローナル抗体も代表的バイオ医薬の1つである。抗体医薬品は,がん細胞などの表面に出ている抗原タンパク質をピンポイントで認識できるため,高い治療効果と副作用軽減が期待できる。抗体医薬品で使われる抗体はマウス由来のものが多かったが,ヒトに投与するとマウス抗体に対する抗体が産生され作用の減弱や副作用が生じる。現在では,ヒトの抗体産生に関わる遺伝子をマウス胚あるいはマウス由来の抗体産生細胞に移入し,ヒト由来の抗体を作り出すことも可能になっている(完全ヒト化抗体)。2004年には,完全ヒト化抗体の抗リウマチ薬アダリムマブ(ヒュミラ®,2週間に1回投与)が発売された。また,EGF受容体を標的とする分子標的抗がん剤トラスツズマブ(ハーセプチン®)は,予後不良であるHER2陽性乳がんに対する最初の分子標的薬となり,これらのバイオ医薬品の成功が現在の分子標的薬興隆の先駆となった。
 しかし,生物を用いた医薬品製造では安全性と有効性の維持のために,低分子有機化合物よりも厳しい製造品質管理基準や工程内管理試験が必要とされる。このため,一般にバイオ医薬品はそれまでの低分子有機化合物医薬品に比べて格段に高価な医薬品となる。これらの難点を解消しつつバイオ医薬品のもつ選択性を生かせる医薬品としてペプチド医薬品が期待されている。従来,ペプチドは経口医薬品としては使いにくいため,医薬品リードとしては活用されるものの医薬品そのものとしての利用は限られていた。しかし,タンパク製剤が極めて有用ではあるが製造が多段階にわたり高価にならざるを得ないことなどから,ペプチドの医薬としての利用があらためて注目されるようになった。実際,インクレチン作用に基づく21世紀の新しい糖尿病治療薬として,アメリカ毒トカゲの唾液成分ペプチドに基づくエキセナチド(バイエッタ®)や,リラグルチド(ビクトーザ®)が承認されている。
 これらペプチド医薬に続く次世代ペプチド医薬の創製に向け解決すべき課題について,第一線の研究者による解説をまとめたのが本別冊である。第1部では,ペプチドおよび関連化合物の調製について解説をいただいた。ペプチドの大きな利点は化学合成やライブラリー調製がタンパク質に比べて格段に容易で,新しい様々な方法論の開発が可能であることである。また,糖鎖修飾ペプチドの合成についても多くの方法論が開発されるようになり,低分子医薬品とタンパク医薬品の間を埋めるペプチド医薬の新たな製造法としての可能性を秘めている。第2部では,こうして得られるペプチドをいかにうまく医薬品として標的部位に届けるかについて解説をいただいた。ペプチドの特性を生かした従来にない新しいデリバリーシステム開発についての総説として大いに示唆に富む内容であると自負している。第3部では,臨床応用に向けたペプチド製剤のもつ新たな可能性について,従来にない視点からの解説をいただいた。これらの方法論は,化学合成が容易なペプチドの特性を生かした修飾反応が新しい展開のもとになることを強く示唆している。
 本別冊の内容が読者の研究に新しい視点をもたらし,新たなペプチド医薬品の創製につながることを祈念しつつ,本別冊に寄稿いただいた各先生に厚く御礼申し上げる。

赤路健一