序文
  

 
21世紀の初頭は,生命科学における歴史的な偉業が相次ぎ,RNA研究にとっても大きな意味をもつ世紀の転換点となった。リボソームの結晶構造の解明,タンパク質とRNAとの分子擬態の発見,さらに新しい機能性RNAの発見など,新たなコンセプトを生み出す複数のブレイクスルーが同時に進行している。 
 その中で,ヒトゲノムの概要が2001年に報告され,2003年にはその全配列が完読され,2004年に精密なアノテーションが完成した。その結果,ヒトの遺伝子の数は22,000程度で,線虫の遺伝子数と大差ないことが明らかになった。しかし,実際に働くタンパク質の総数は30万余である。その不一致が大きな謎となったが,mRNAの選択的スプライシングによってタンパク質の多様性が生み出される事実が明らかになり,RNAのポテンシャルが広く認識されるにいたった。さらに,タンパク質をコードしないRNA(ノンコーディングRNA:ncRNA)がヒトの全RNAの98%を占めるという,予想もしなかった事実も明らかになった。ヒトゲノムの配列という大きな山を越えると,その先にncRNAという巨大な山がそびえていたのである。
 RNA干渉(RNAi)は1998年に線虫を使った実験で報告された,2本鎖RNAの導入による相同な標的遺伝子の発現抑制という現象である。この発見は偶然であったが,同様の仕組みが植物や動物でウイルスに対する防御機構として働くことなどが明らかになり,多細胞生物に普遍的に存在する生命現象として市民権を獲得した。さらには発生や分化に機能する小さなアンチセンスRNA(micro RNA)もRNAiと共通した機構で働くことが明らかになった。これらのmicro RNAは,ncRNAの仲間である。そのため,これまでジャンクと思われてきたncRNAの多様性が,ヒトを筆頭とする高等真核生物の複雑さに深く関与するであろうと多くの研究者が考えはじめている。
 このように,脇役からポストゲノムの桧舞台に躍り出た観のあるRNA研究だが,むしろ生命の誕生を触媒し,その根幹を支えてきたRNAの役割を深く洞察すれば,ようやく時代の進歩がRNAの重要性をキャッチアップしたと言うべきであろう。今,われわれは「RNAルネサンス」とも呼ぶべき時代に立っている。
 RNAルネサンスは学術的なルネサンスにとどまらず,新たなテクノロジーを開拓し新産業を創成する可能性を秘めている。RNA創薬は,一時期,アンチセンスやリボザイムの利用によって大きな期待を集めた。しかし,多くの試みが頓挫し,期待は大幅に後退した。このような時代を経て,RNAiが発見された。RNAiの発見から,わずか7〜8年しかたっていないが,研究が猛スピードで進んだ結果,今やRNAiを利用した医薬品の開発が進み,海外では臨床試験が始まった。また,人工進化RNA(アプタマー)を利用した新しい医薬品の開発研究も進み,世界初のRNAアプタマー医薬(Macugen
®)が2004年12月に米国FDAによって製造承認された。このように,RNAルネサンスは学術分野のみならず,創薬や医工学の領域でも進行している。今,われわれが遭遇するRNAルネサンスは,基礎と応用とが車の両輪としてバランスよく回転し,RNAサイエンスを心地よく駆動する時代なのである。
 本特集「RNAと創薬」は,RNA研究の第一線で活躍する諸先生に執筆をお願いした。各位にはご多忙のなか無理をお聞きとどけいただき,執筆にご尽力いただいた。ここに,深くお礼申し上げる次第である。本書が,広い読者の啓蒙と若い学徒や研究者の勉学・研究・開発に役立つことを切に願う。

東京大学医科学研究所 中村 義一