序文

  エピゲノムは,ゲノムにおけるDNAメチル化やヒストン修飾などの総体を示し,細胞ごとの遺伝子発現を調節している。様々な外的・内的要因で変化する可塑性をもち,そのことで生体は環境に適した遺伝子発現を行い,順応している。つまりエピゲノムとは,ゲノムが規定した生命の設計図(遺伝子)を個体が置かれた様々な状況に応じて適切に使い分ける仕組みともいえる。一方で,ゲノムには,DNAメチル化酵素,ヒストン修飾酵素,クロマチンリモデリング因子などのエピゲノム修飾因子の遺伝子がコードされている。このことは,ゲノムの塩基配列によってエピゲノム制御が行われることを意味している。つまり,ゲノムとエピゲノムは表裏一体の関係であるといえよう。ゲノム配列の異常に基づくエピゲノム異常,エピゲノム異常に基づく遺伝子発現異常が様々な疾患の原因となるのである。
 先天性疾患とは,もって生まれた形態的・機能的な違いのことを指し,出生児の3〜5%に認められる。その原因は,染色体異常(25%),コピー数多型(10%),遺伝子病的バリアント(20%),多因子(40%),環境・催奇形因子(5%)である。そして,これらすべてがエピゲノムの異常を引き起こす原因となり得る。特に近年,シークエンス技術の向上とともに先天性疾患の原因遺伝子として,エピゲノム修飾因子をコードする遺伝子が数多く同定された。加えて,これらの病的バリアントは,患者末梢血由来のDNAにおいて疾患特異的DNAメチル化エピシグナチャーを呈することがわかり,網羅的DNAメチル化解析が診断や臨床的評価に有用であることが明らかとなった。また,エピゲノムの可塑性という特性に注目した薬剤の開発が進み,実際に臨床で使用されているものもある。一方で,エピゲノム修飾因子の異常が,どの領域のエピゲノムをどのように変化させるのか,そのエピゲノムの変化によって発現が変わる標的遺伝子にはどのようなものがあるのか,そしてそれらがどのように病態を引き起こしているのか,という詳細な疾患発症メカニズムについては未解明な点が多い。
 本書は,「エピゲノムで新たな解明が進む『先天性疾患』」というタイトルのもと,国立成育医療研究センター研究所周産期病態研究部 秦 健一郎部長と共同編集を行い,第一線で活躍されている研究者の方々に執筆をお願いした。まず第1章でエピゲノム総論として,DNAメチル化,ヒストン修飾,クロマチンリモデリング因子の基本原理について説明していただいた。第2章では,ゲノム解析技術の進歩とともに飛躍的に発展したエピゲノム解析技術とエピゲノム編集について最先端の手法を紹介していただいた。第3章では,エピゲノム異常を伴う代表的な疾患(インプリンティング疾患,DNAメチル化異常症,メチル化DNA結合タンパク異常症,ヒストン修飾異常症,クロマチンリモデリング因子異常症,その他のエピゲノム異常症)について,それぞれの疾患の専門家に疾患のエピゲノム異常と病態との関連性について解説いただいた。さらに第4章では,近年注目されている環境要因とエピゲノムの観点から,生殖補助医療,エピゲノムの次世代への影響,DOHaD(developmental origins of health and disease)について先端的な研究内容をご紹介いただいた。最後に第5章で,エピゲノムをターゲットとした治療・創薬として,DNAメチル化阻害剤,ヒストンメチル化阻害剤,ヒストンアセチル化制御薬について,臨床応用も含めて解説していただいた。
 本書が,先天性疾患を対象としている研究者・医療者のみならず,様々な分野の基礎研究から臨床・創薬応用研究に携わる研究者の方々にとって,疾患エピゲノムをご理解いただくための一助になれば幸いである。

佐賀大学医学部分子生命科学講座分子遺伝学・エピジェネティクス分野  副島英伸