序文

 2009年にヒト疾患の遺伝的原因解明への次世代シーケンス(next generation sequencing:NGS)技術の応用の可能性が示され,2010年からNGS解析を用いたヒト疾患の新規疾患責任遺伝子の単離・同定が始まった。NGSの高い塩基配列解読能力とSNV(single nucleotide variant)決定の正確性は,既知疾患遺伝子の変異解析から新規責任遺伝子同定まで,シームレスかつ網羅的にNGS解析の利用範囲を拡大させてきた。特に希少難病は遺伝的要因が強く,タンパク質をコードする遺伝子領域のSNVや短いIndel(insertion and deletion)が疾患の85%程度を説明可能なため,NGS解析の重要な対象とされ,世界的に大きな進展が認められる分野となった。

 本邦でも国が強く後押しする形で,NGSを用いた難治性疾患に関する原因解明を目的とした研究事業が立ち上がった。2011-2013年度に厚生労働省が「次世代遺伝子解析装置を用いた難病の原因究明,治療法開発プロジェクト」という名目で全国に拠点研究班5拠点・一般研究班10拠点を形成し(第一期),NGSを用いた難病の原因究明の研究が大きく動き出した。本プロジェクトは2014-2016年度「疾患群毎の集中的な遺伝子解析及び原因究明に関する研究(遺伝子拠点研究)」で全国6拠点(第二期)(この時期に担当部署が厚生労働省からAMEDに移管),2017-2019年度「オミックス解析を通じて希少難治性疾患の医療に貢献する基盤研究(オミックス解析拠点)」で全国9拠点(第三期,AMED)と形を変え現在まで継続している。さらに重要なプロジェクトとして未診断疾患イニシアチブ(initiative on rare and undiagnosed diseases:IRUD)が2015年度に始まった。IRUDは疾患カテゴリーがはっきりせず原因も未解明で従来の医療の直接の対象になりにくかった疾患群に焦点を当て,その原因を解明しようとする意欲的なプロジェクトで,まず小児プロジェクトが先行する形で発足し,続いて成人プロジェクトが発足,3年目に両者が融合するという形で一期目が終了した。そして2018-2020年度の第二期IRUDが始まった。この2つの大きな国家主導プロジェクトが進行する間の難病の遺伝子解析は大きく様変わりし,研究段階から(臨床に有益な)遺伝子診断という実臨床応用レベルに変貌しつつある。

 がんの領域では,海外で治療薬選択のためにNGSを用いたがん遺伝子パネル検査が普及しつつある。日本においてもその導入の期待が高まる中で,先進医療としての実施が準備されつつある。2018年に厚生労働省が,がんゲノム医療中核拠点病院(11拠点)とがんゲノム医療連携病院を選定し,がんを対象とし,がん遺伝子パネル検査を主とするNGS解析の実臨床応用へ向けて大きく踏み出すこととなった。

 この現状を捉え,「臨床応用に向けた疾患シーケンス解析」というタイトルで,鳥取大学生命機能研究支援センター・難波栄二教授,東京大学医科学研究所臨床ゲノム腫瘍学分野・古川洋一教授と私の3名が共同編者となり,第一線で活躍しているアクティブな研究者を中心に執筆を依頼した。AMEDの難病研究班・周産期や指定難病,がんに関して実臨床をめざした研究,そしてシーケンスに関して極めて重要なデータベース,精度管理,ELSIに関わる先生方である。本企画で,研究〜臨床応用のシーケンスに関わる幅広い読者に,有益な情報の提供ができれば幸いである。


横浜市立大学大学院医学研究科 遺伝学  松本直通