序文 :
オミックスとがんバイオマーカー研究の最新動向をまとめて

 マイクロアレイ技術によりゲノムワイドな遺伝子発現やコピー数の変化の解析が可能になり,さらに,いわゆる次世代シーケンサーによる高速な全ゲノムのシーケンスも日常的に行われるようになっている。本編者の1人が専門とするプロテオミクスの領域においても,高感度な蛍光色素標識法,超低流速の液体クロマトグラフィー,質量分析法の機器や技術の進歩により数年前には考えられなかった高い感度で解析可能になってきている。
 本書で扱うゲノミクス(genomics),エピゲノミクス(epigenomics),トラスクリプトミクス(transcriptomics),プロテオミクス(proteomics),メタボロミクス(metabolomics),グライコミクス(glycomics)といった,いわゆる「オミックス(-omics)」研究は,このような高感度な方法で大規模・網羅的にすべての遺伝子・タンパク質・代謝産物・糖鎖を解析してしまい,その結果を俯瞰することで,既存の知見や理論からは到達できなかったような新たな知見を得ようとするデータ駆動型研究であり,従来の仮説駆動型の研究手法と根本的に考え方が異なる。さらに複数の「-omics」を組み合わせた多層統合解析によって分子間のネットワークや,リン酸化などによって伝達されるシグナル経路を明らかにし,生命現象や病態をシステムとして理解する試みも行われている。これらの解析によって得られるデータは膨大であり,研究者の頭の中だけで処理することは通常不可能である。インフォマティクス(informatics)の情報解析技術の助けにより,意味づけが可能となる。
 本書では,これからバイオマーカーの探索を始めようとする研究者のためのオミックス解析技術の概要紹介から,そのインフォマティクスやデータベース構築についてまで,それぞれの専門家に執筆いただいた。
これらの大規模解析によって新たな予防・診断・治療法が開発されることが期待される。腫瘍マーカーは腫瘍細胞により産生され,患者の血液・尿・便などに検出されるタンパク質や糖鎖・自己抗体などで,腫瘍の早期診断,治療効果の判定,治療後の経過観察などに従来より広く利用されている。さらに,アミノ酸やマイクロRNAなども腫瘍マーカーとして利用可能なことが明らかになってきた。
 また,最近はバイオマーカー(biomarker)という言葉もよく耳にする。バイオマーカーは腫瘍細胞から産生されるものに限らず,病態と密接に相関し,治療の指標となるサロゲートマーカー(surrogate marker)なども含まれ,また現在のみならず将来の病態や治療薬の効果や有害事象を予測するようなものまでを含めた,より広い意味で用いられる言葉である。コンパニオンバイオマーカー(companion biomarker)は特定の治療薬の効果や副作用を予測するものをさし,特に分子標的治療薬の開発では必須になってきている。さらに個々の症例の病型や経過,治療応答性,発がんリスクなどを正確に予測するバイオマーカーが開発できれば,既存の薬剤であっても効果を最大化できる個別化医療が実現されることが期待される。本書では,このようながんの個別化医療を実現するバイオマーカーについて,従来の成書ではできないタイムリーな知見をまとめることを企画した。さらに最終章では新規のバイオマーカーを体外診断薬として実用化する過程についても専門家に執筆いただいた。
 最後に分担執筆をいただいた精鋭の皆様方に,この場を借りて御礼を申し上げる。また監修の今井浩三先生には,企画の段階より貴重なご意見をいただいた。オミックスとバイオマーカー研究の最新の総説集である本書を,これからオミックス解析手法を用いた臨床研究を始める研究者,バイオマーカーを利用しようとする臨床医,さらにはバイオマーカーの実用化に関わる企業の方に愛読いただければ幸いである。

山田哲司
金井弥栄