序文
  

 
今,熱い注目が「再生医療」に注がれている。その理由は,生体の失われた組織や臓器の再生が人の手で可能となれば,それはまさに究極の医療であり,患者にとって大きな福音となることに疑いがないからである。しかし,実際には,口で言うほど簡単なものではない。
 一般に,新しい医療技術が誕生するためには科学と技術の多くの粋を集結しなければならない。例えば,レントゲンが
X線を発見したのは1895年である。しかしながら,それがX線CTとして診断に不可欠な医療手段になるまでには100年という長い期間を要した。まだ記憶に新しい昨年のノーベル医学生理学賞の対象となった核磁気共鳴(NMRnuclear magnetic resonance)イメージング(MRI)も同様である。MRIが画像診断技術となるまでには,最初にNMR信号が観察されてから約50年の歳月が必要であった。それは,それらの現象に関する科学的解明と膨大な周辺技術の集積を待たなければならなかったからである。
 再生医療も例外ではない。特に,再生医療のキーワードである「細胞」「細胞外マトリクス」「液性因子」などに,現時点でも多くの未知の部分があることを考えると,それはなおさらである。日本でもベンチャー企業が立ち上がっている皮膚再生の基本技術は,
20年ほど前に既に開発されていた。増殖分化能力の高い幹細胞ならびにその周辺の生物医学研究に関する近年の進歩は目覚ましく,様々な組織や臓器に分化できる胚性幹細胞(ES細胞)あるいは組織幹細胞が分離できたが,それらの細胞からいかに組織や臓器が作られていくかという道筋の解明はまだほとんど手つかずの状態である。
 しかし,それだからといって,再生医療が患者の前に登場するのははるか先というわけではない。われわれの体は自己修復能力を持ち,組織再生の場を人為的に与えるだけで,後は自ずから細胞の再生誘導によって生体組織が再生修復していく場合も多い。細胞の再生誘導の手助けをする医工学技術,方法論である生体組織工学(ティッシュエンジニアリング)を利用した生体組織の再生誘導治療のいくつかも臨床研究の段階に入りつつある。また,これまでの時代とは異なり,科学の進歩とその周辺技術の集積を伴った治療法の実現との間に必要となる時間が短縮されることは大いに期待できる。
 いまさら言うことでもないが,再生医療は典型的な融合境界領域である。生物医学,工学,薬学,理学などの複数の異種の学術分野が有機的に融合することによってのみ,その実現が可能となると考えられる。これまでにも,様々な分野の研究開発が進められている。そのいずれもが再生医療の実現のために必要不可欠であり,大いに貢献していることはいうまでもない。しかしながら,今後,再生医療の包括する守備範囲はもっと広くなり,結果として,必要となる材料,技術,方法論も多くなる。そこで,これまで以上に多くの研究分野,基礎的知見,材料,技術,方法論,関連事項などが必要となっていくことは疑いない。また,「これらの再生医療に必要なもの」は,今後の再生医療の発展の方向性にも大きく関連している。本書を編集した
1つ目の動機は,このような動きに対して,今後の再生医療に必要となるであろう研究領域や関連事項,加えて,今後の再生医療の方向性などについて考えていただくための少しの助けにでもなればということであった。
 本書の構成は,第
1章から4章までは再生医療へのブレークスルーに「必要なもの」,第5章は「今後の方向」となっている。第12章では,生物医学研究,生体組織工学研究について,第3章では再生の評価法,第4章では科学技術以外の周辺必要事項について,それぞれの分野・領域の第一線で活躍されている先生方に執筆していただいた。最後の第5章では,再生医療を必要としている領域と今後の方向性についてまとめた。いずれの項目に対しても,分野・領域における現在の世界的研究動向,日本の位置づけ,執筆者の最新の研究成果やその関連事項,将来展望,加えて,再生医療との関連性などについて簡潔に述べられているはずである。単に,再生医療研究の入門書というだけではなく,現在の先端医療が,いかに多くの分野・領域の科学と技術のサポートが必要であるのかを具体的に示すことも,本書を編集したもう1つの動機である。
 本書が,再生医療と種々の研究領域との接点の理解,再生医療へのブレークスルーとなる分野・領域の新たな発掘,さらには読者と再生医療との関わりの発見などに少しでも役立つことを願っている。

京都大学再生医科学研究所 田畑 泰彦