序文
  

 
トランスポーター研究は、分子生物学・遺伝子工学の利用により、近年、急激な進歩を遂げている。薬物トランスポーターは肝、腎、小腸、脳、胎盤、腫瘍など種々の組織に発現し、薬物動態に重要な役割を果たすことが明らかになりつつある。医薬品開発の面においても、トランスポーターの輸送メカニズムを制御することにより、薬効発現部位・副作用発現部位への薬物デリバリーをそれぞれ増大・軽減することが可能になり、理想的な動態特性をもつ薬の開発につながるものと期待されている。また、最近の研究により、薬物間相互作用、遺伝子多型に基づく薬物動態特性の個人間変動に薬物代謝酵素のみならず薬物トランスポーターの関わる例が増えつつあり、医薬品探索・開発の従事者から注目されている。しかしながら、吸収特性、肝臓・腎臓・脳への移行特性のスクリーニング方法はいまだ充分に確立していない。ヒト組織・細胞および各種トランスポーターの発現系を用いた評価法を確立させていくためには、それがヒトin vivoの特性値と近いことを実証することが必要になる。肝、腎、小腸におけるトランスポーター能力の評価のためには、臨床に適用可能なprobe drugを見つけることが必要となる。Probe drugが備えているべき性質としては、あるトランスポーターにより特異的に輸送され、それが血中動態に影響を与えることである。しかし、容積の小さい標的臓器に存在する脳でのトランスポーターのように血中動態への影響が小さいものの場合には、PET 解析などの分子イメージング手法を用いるなどさらなる工夫が必要となる。
 基礎的研究としても、トランスポーターは生体防御の観点から興味深い。医薬品を含む広範な低分子性異物に対して生体が、免疫機構とは異なる防御機構として獲得した排除機構に関わるタンパク質(酵素、トランスポーター)には、 @分子多様性、A広範な基質認識性、B大きな種差、C機能変化につながる遺伝子多型の頻度が高いという共通特徴が見られる。これら共通特徴は、適応進化による多様化という観点から説明できる。すなわち、細胞の生死に直接関与するタンパク質ではないがゆえに、遺伝子変異のpenetranceが高く、種差の大きさ、遺伝子多型が多く見られる。これが薬物動態の個体差に反映し、副作用の原因となっている。ヒトゲノム解読が終了した現状を考えると、薬物動態に関与するすべてのトランスポーターの臓器特異性、細胞内局在、機能(基質特異性など)が明らかにされることは時間の問題であろう。今後、以下の基礎研究の発展が期待される。
(1)タンパク質間相互作用:幾つかのトラナスポータートランスポーターでは、他のタンパク質との相互作用が機能調節のほかに、細胞内ソーティングや形質膜から細胞内への内在化に関わることが知られている。今後、タンパク質間相互作用によるトランスポーターの機能調節、発現局在化の制御などの実例が多く蓄積されてくるものと思われる。本書においては、「トランスポートソームの概念」の項でこの詳細が解説される。
(2)発現調節の解析:代謝酵素、トランスポーターの転写因子、核内受容体として種々のものが見出され、研究が進められている。これらの多くは、タンパク質―タンパク質相互作用、タンパク質―遺伝子相互作用により、その機能調節が行われていることが明らかになりつつあるが、これまで明らかになったものだけでは説明できない例も多くあり、今後、エピジェネティク解析も含めて、更なる発展が期待されるとともに、生物のもつ生体防御機構の意義づけとして、合目的な説明ができるまでに構造―機構相関が解明される必要がある。
 内因性の基質(グルコース、アミノ酸、尿酸、胆汁酸、コレステロール、ビタミン、神経伝達物質など)を輸送するトランスポーターの機能、発現量を増減することにより、薬理ターゲットになったり、薬物による副作用のターゲットになることも近年の研究により明らかにされつつある。薬理ターゲットとなるものについて言えば、例えば、神経伝達物質のトランスポーターは神経精神病治療薬のターゲットとなる。セロトニントランスポーターは抗うつ薬であるセロトニン選択的再取り込み阻害薬(SSRIs)のターゲットであり、他の神経伝達物質の再取り込みに働くトランスポーターには、三環系抗うつ薬、アンフェタミン 、および抗けいれん薬 のターゲットとなるものもある。神経性以外のトランスポーターも薬物ターゲットとなりうる。例えば、心血管疾患におけるコレステロールトランスポーター、肝臓疾患における胆汁酸トランスポーター、癌におけるヌクレオシドトランスポーター、グルコーストランスポーター、メタボリック症候群におけるグルコーストランスポーター、高血圧におけるNa+-H+交換輸送系などである。その他の例についても、本書に例が挙げられているので参照して欲しい。最近では、本書に述べるように、トランスポートソームの破綻による疾患も見つかっており、トランスポートソームを薬理ターゲットにして医薬品開発がされる日も近いであろう。一方で、胆汁酸トランスポーター、尿酸トランスポーター、その他のトラスポーターを薬物が阻害することによる副作用の誘起についても明らかにされてきている。これらのトランスポーターは内因性の基質を輸送するがゆえに他の種々の調節機構と巧みな連鎖をしながら生体内で働いている。したがって、これらを薬効の分子標的とするときには、種々のフィードバック機構が働くことを念頭に入れておく必要があり、将来はその詳細なメカニズムの解明にはシステムズバイオロジー的なアプローチが必要となるであろう。
 本書では、薬物動態とトランスポーターの関連については主に杉山が担当し、薬効標的のトランスポーターについては主に金井が担当して編集をした。執筆者はすべて、それぞれの領域の最先端で活躍中のアカデミア研究者、基礎・臨床研究に関わる医学研究者、企業研究者にお願いした。貴重な時間を割いて快く引き受けて下さった諸氏に心よりお礼を申し上げたい。本書は、大学においてトランスポーター研究、創薬動態研究に関わる基礎、実用研究を志している研究者、トランスレーショナルリサーチに従事する医学、薬学、工学の研究者、製薬企業における研究者(薬物動態、製剤、DDS、医薬化学、薬理、毒性、臨床開発)、ベッドサイドでの薬物治療に携わる病院薬剤師の皆さんに読んで頂きたいと考えている。また、教科書としてのみならず、座右において研究、業務の際の手引書となれば幸いである。

東京大学大学院薬学系研究科 杉山雄一
大阪大学大学院医学系研究科 金井好克