遺伝性疾患治療の最前線

戸田達史
東京大学大学院医学系研究科神経内科学

  今回のテーマは,雑誌「遺伝子医学」の特集「遺伝性疾患治療の最前線」として,分子標的治療に焦点を当て,臨床家,アカデミックならびに企業研究者,カウンセラーなどのために書かれたものである。
 ひと昔前(と言ってもたかだか30〜40年前)は,遺伝性疾患(特に神経疾患)の研究・興味は,臨床診断学,症候学,病理学が主体であった。多くが原因は不明であり,原因物質も不明であり,病気のメカニズムも極めて難解で,攻略の糸口を見出しがたいものであった。ましてや治療ともなればはるか彼方の目標にすぎず,筆者の出身医局に「あせらず,背伸びせず,100年後のために」と書いてあるのがとても象徴的である。
 しかし,過去30年間の分子遺伝学,ヒトゲノム研究の進展により事態は一変した。遺伝性疾患の多くは,従来の病理・生化学的研究からだけでは病因の解明が困難なものが多く,たとえ原因異常タンパク質が不明であっても,連鎖解析などによりまず遺伝学的に疾患遺伝子の位置を決定し,原因遺伝子を単離して病態を考えるポジショナルクローニングの方法が可能となったことが大きい。遺伝学上の歴史的なものとしてDuchenne型筋ジストロフィー原因タンパクジストロフィン,ハンチントン病原因タンパクハンチンチンなどがあげられるが,他にも本特集に登場するそれぞれの疾患のkey moleculeであるSMNタンパク,フクチン,ABCD1などは皆この方法で明らかにされたものである。筆者は1985年医学部卒であるが,学生時代,本書に出てくる分子は一切習わなかった。それだけ教科書が書き換わったと言ってよい。
 このように多くの難病の病態が今まさに分子レベルで解明されつつあり,原因療法の開発・治験・実用化まで進められているものもある。原因タンパクが明らかになれば,そのタンパクをターゲットにして様々な治療法が考案される。本書で述べられている酵素補充療法,AAVベクターによる遺伝子治療,アンチセンス核酸,シャペロン療法,siRNA治療,ゲノム編集などはまさにそれであり,遺伝性疾患は現在,治療法開発のフェーズに入ったと言ってもよい。このような中で次なる課題は孤発性疾患の治療であろう。孤発性疾患は多因子遺伝性疾患であり,一つの分子をハンドリングするだけでは難しい。遺伝性疾患の治療研究から突破口が得られることを期待する。
 読者には本書が提供する新たな知見を含めた情報の全体を俯瞰していただくことを希望したい。本書が遺伝子医学に関わる臨床家・研究者・カウンセラーの方々に手助けとなれば望外の喜びである。