小杉眞司

 雑誌「遺伝子医学」復刊にあたり,最初のテーマとして「がんゲノム医療」を取り上げることとなった。2015年1月20日,オバマ前アメリカ合衆国大統領の一般教書演説において,“Precision Medicine Initiative”が発表された。これは,個人の個別の遺伝情報を医療に生かそうとするものであるが,がん診療での応用が最重要なものと考えられており,今回のテーマの「がんゲノム医療」の基礎といえる。
 がんの治療は従来,がん種ごとの適応によって行われていたが,いわゆる分子標的治療薬の開発がすすみ,がん細胞で生じている治療薬の標的となる遺伝子変異の解析を実施してから治療へ結びつけられるものが増えた。次世代シーケンサーの圧倒的な解析力により,関連する数百の遺伝子を一気に調べるのが,がんクリニカルシーケンスであり,その発展形と言える。米国を中心に始められていたが,わが国では2015年に京都大学医学部附属病院がんセンターが初めて導入した。その後全国的な広がりがみられていたが,国主導で医療実装が進められてきている。2018年2月には「がんゲノム医療中核拠点病院」が厚生労働省によって11施設指定され,連携病院も決められた。2018年4月には,国立がん研究センターが中心となって,NCCオンコパネルが先進医療として承認された。2019年度には保険診療となる方針ということである。
 2015年New England Journal誌に,PD1抗体治療が,ミスマッチ修復機能異常をもつがん腫で,そうでないものと比較して,圧倒的な効果を示すことが報告された 1)。アムステルダム基準や改定ベセスダ基準ではもれてしまうLynch症候群を拾い上げる目的で,すべての大腸がんのMSI(マイクロサテライト不安定性試験)を行うユニバーサルスクリーニングが提唱されていたが,わが国では普及していなかった。しかし,上記報告の結果,がん細胞のミスマッチ修復機能を調べることが,治療にも極めて有効ということがわかったことにより,ユニバーサルスクリーニングの意義が大きく認識されるに至った。京大病院では,2016年1月より全大腸がん手術例に対して,ミスマッチ修復タンパクの免疫組織染色を行うユニバーサルスクリーニングを開始している。米国FDAはPD1抗体薬をミスマッチ修復機能異常をもつがんに対して承認した。これは,がん種別の承認という従来の方針を大きく転換するもので,まさにprecision medicineの考え方に基づくものといえる。
 HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)におけるPARP阻害剤による治療も,この領域の重要な点である。2018年7月,再発乳がんに対するPARP阻害剤のコンパニオン診断として,BRCA1/2生殖細胞系列遺伝学的検査が保険診療として承認された。生殖細胞系列の遺伝学的検査が治療に直結するという初めてかつ重要な例である。
 がんのクリニカルシーケンスの場合は,二次的所見として生殖細胞系列の変異が同定される。ミスマッチ修復機能によるユニバーサルスクリーニングは,がんの治療と遺伝性疾患であるLynch症候群のスクリーニングの両方を目的としている。さらにPARP阻害剤にコンパニオン診断は,生殖細胞系列遺伝学的検査が治療のための目的となる。このようにゲノムファーストの時代が訪れ,医療のパラダイムシフトが起こっており,がん医療と遺伝医療の連携の強化がいっそう重要になっているといえる。
 このようにがんの治療という点で,遺伝子解析が日常診療に導入されつつあるが,生殖細胞系列の遺伝学的検査で,保険収載されている遺伝性腫瘍の原因遺伝子はRETとRBのみであり,がん診療で見出された生殖細胞系列遺伝学的検査を保険診療として実施することやその際に必須となる遺伝カウンセリングを日常診療として実施する体制は極めて遅れており,今後の重要な課題といえる。

参考文献
1) Le DT, Uram JN, et al : N Engl J Med 372, 2509-2520, 2015.