巻頭言


造血器腫瘍の分子メカニズムと分子標的療法


平井久丸
 
東京大学医学部付属病院血液腫瘍内科無菌治療部 助教授


  現在では造血器腫瘍の分子メカニズムは,染色体転座に関する研究,がん遺伝子やがん抑制遺伝子に関する研究,シグナル伝達に関する研究などが融合し,着実に解明されつつある.既に造血細胞の分化・増殖にかかわる数多くのシグナル伝達分子が明らかにされているが,それらをコードする遺伝子に変異を生じると造血細胞は分化・増殖制御から逸脱して造血器腫瘍に関わることが明らかになっている.これらの分子には,増殖因子の受容体,チロシンキナーゼ,セリン・スレオニンキナーゼ,GTP結合蛋白質などが含まれる.また,核内に存在して遺伝子の発現を調節する転写因子や細胞周期制御因子,さらにはアポトーシス制御分子も質的変化によって造血器腫瘍に関わることが示されている.
 造血器腫瘍に対しては長い間,非特異的な化学療法が主たる治療手段であったが近年になり,より副作用の少ない分子機序に基づく治療法が注目されている.以前より分化誘導療法と呼ばれる治療法が注目されていたが,1988年に急性前骨髄球性白血病に対する全トランス型レチノイン酸(ATRA)の有用性が報告され,その分子機序が注目を集めた.その後,分子を標的とする治療薬の開発が現実的なものとして研究されるようになり,昨年には慢性骨髄性白血病の原因分子であるBCR/ABLチロシンキナーゼの阻害剤であるメシル酸イマチニブが発売され脚光を浴びている.
 分子標的薬剤の探索は様々な理論に基づいて行われているが,共通して言えることは悪性腫瘍のバイオロジーに基づく論理的妥当性である.上記のようなシグナル伝達の異常を阻害しようとする発想のもとに開発されている薬剤がシグナル伝達阻害剤あるいは分子標的薬剤である.特に,チロシンキナーゼからRAS/MAPキナーゼを介するシグナル伝達系は細胞増殖シグナルを伝達するため,有用性の高い阻害剤が開発されている.チロシンキナーゼ阻害剤やRAS阻害剤(ファルネシルトランスフェラーゼ阻害剤)などはよい例であるし,RAS/MAPキナーゼ系の他にも多くのシグナル伝達系に対する薬剤が開発されつつある.JAK/STAT系に対するJAK2阻害剤,PI3キナーゼ系に対する阻害剤,PKC系に対する阻害剤などがそれらの例である.細胞周期阻害剤としてはCDK(cyclin-dependent kinase)が注目され,いくつかのCDK阻害剤が開発されている.さらに,すべてのシグナルは最終的には転写因子を介して細胞の動態を決定することから転写機構を標的とするヒストン脱アセチル化酵素阻害剤の開発も盛んである.シグナル伝達分子以外の分子を標的とする薬剤も多く開発されており,血管新生阻害剤(VEGF阻害剤,PDGF阻害剤など),転移阻害剤(MMP阻害剤など)などが知られる.一方,腫瘍細胞のターゲッティングに関する薬剤としては,モノクローナル抗体医薬が期待されており,悪性リンパ腫に対する抗CD20抗体や急性骨髄性白血病に対する抗CD33抗体などの有用性が報告されている.
 このように分子標的薬剤は,殺細胞効果を主たる作用とする従来の抗癌剤より明らかに有害性が低いため,今後の更なる探索・開発が期待される.現在ではゲノムプロジェクトもほぼ最終段階に近づいており,今後はゲノム情報,すなわちトランスクリプトームやプロテオームの知見に基づいた,いわゆるゲノム創薬もさらに活発になるであろう.

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