巻頭言


千葉 寛

千葉大学薬学部薬物学研究室 教授


  薬理ゲノミクス(pharmacogenomics)という言葉がどのような経緯で使用されるようになったかについては明らかではないが,1998年のNature Biotechnology(16:492-493)には薬理ゲノミクスの展望として「薬物反応の個人差を規定する遺伝的要因の発見が新たな診断法と治療薬を生みだし,薬物を安全で有効な使用が可能な患者にのみ選択的に与えることができるようになる」とあり,このような考えが突然に広がってきたと記載されている.
 薬物反応と遺伝要因の関係を研究する学問は1950年代からあり,薬理遺伝学(pharmacogenetics)と呼ばれている.薬理遺伝学が大きく進展したのは1980年代であり,肝の主要な薬物代謝酵素であるcytochrome P450(CYP)の遺伝多型の発見を契機に,様々な薬物に対する反応性の個人差や副作用発現とCYPの多型性の関係が明らかにされた.現在では,CYP以外の薬物代謝酵素,トランスポーター,薬物受容体などに研究領域が広がり,遺伝子多型と薬物反応の個人差に関する検討が進められている.
 薬理ゲノミクスは薬理遺伝学の進歩の延長線上で考え出された概念であり,その背景にはヒトゲノム計画の進展がある.1980年代に組織されたヒトゲノム計画は当初の予定より早く進行し,1998年にはポストシークエンス時代に向けての新たな5カ年計画が発表された.その5カ年計画の目標の一つにヒトゲノム塩基配列における個人差の解明がある.その中には,一塩基多型(SNPs)の大量解析と同定のための新たなテクノロジーの開発,主要な遺伝子のコード領域に存在するSNPsの同定,遺伝子マーカーとして100,000のSNPsを同定することなどが目標として掲げられている.
 この計画の進展に伴う成果として,糖尿病や高血圧を代表とするcommon diseaseや薬物反応性の個人差を規定する遺伝子とSNPsの同定やその遺伝子診断法の確立などが期待されている.これらが実現されれば,個々の患者のSNPs解析により,より細分化された疾病の診断や薬物反応性の個人差の判定が可能となり,“適切な患者に適切な薬物を適切な量だけ投与する”という,いわゆるオーダーメイド医療が現実のものとなる.
 現在,ヒトゲノム計画に関わる研究機関に加え,ベンチャー企業や複数の製薬会社からなるコンソシアムなどが,有用なSNPsの発見に向けて熾烈な競争を繰り広げており,新たなSNPs解析技術も続々と登場している.しかし,一例として白血病の薬物治療に対する薬理ゲノミクスのアプローチを考えてみると,白血病細胞の薬剤感受性遺伝子とSNPsの同定,抗ガン剤の薬物動態(吸収,分布,代謝,排泄)に関わる遺伝子とSNPsの同定,抗ガン剤の副作用に関連する遺伝子とSNPsの同定,免疫力の低下と感染に関わる遺伝子とSNPsの同定などが必要であり,オーダーメイド医療の現実化には解決すべき課題が数多く残されていることがわかる.
 しかし,今世紀にオーダーメイド医療が現実のものになることは間違いないことであり,21世紀の幕開けと共に冒頭に述べた薬理ゲノミクスの展望を現実化するための本格的な挑戦が始まるものと思われる.

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