巻頭言

金久 實
京都大学化学研究所 教授/日本バイオインフォマティクス学会 会長

  国際的な規模で行われているゲノム研究の大きな目的は,医学への応用である.最近では,ゲノム創薬,オーダーメイド医療といった言葉が飛び交い,ゲノムへの期待はますます高まってきている.ただし,過度の期待は禁物である.ゲノム研究が始まってもう10年以上が経過したわけで,当初予想されていたことと,現在までにわかったことを振り返ってみることにより,今後の展望を見極める必要がある.
 当初はおそらく誰もがゲノムの塩基配列がわかればもっとたくさんのことがわかると思っていた.確かに多くの病原微生物など単細胞生物のゲノムでは,全塩基配列を高精度で決定し,そこから遺伝子領域を予測することが可能であるため,機能未知の遺伝子は多数残っているにしても,ゲノム研究の有用性は明確に示されている.一方,多細胞の真核生物として,既に線虫とショウジョウバエの全ゲノム(正確には線虫はその97%,ショウジョウバエは70%程度)が決定されている.ここでは機能予測以前の問題として,遺伝子領域予測の困難が(予想通り)明らかになり,特にショウジョウバエではスプライシングの複雑さが際立っている.ヒトゲノムでは転写後処理はさらに複雑となり,ゲノムからタンパク質を同定することがますます困難になるであろう.ヒトゲノム全体のドラフト・シークエンスが解読されたとの宣言が出ている一方で,そこに含まれる遺伝子数についてさえまだ見当がつかず,3万であるとか12万であるとか論争が行われていること自体,われわれの無知を物語っている.
 一方,ゲノムを観測する新しい実験技術としてDNAチップが実用化され,ゲノムの配列情報以外に多型(SNP)情報と発現情報を系統的に調べることが可能となった.そして,以前にゲノム配列がわかればすべての病気がわかると言われていたように,今ではSNPがわかればすべての病気がわかるような言い方がされている.しかしながら,これも以前と同じように,実際にデータが出てきた場合にどうすれば有用な情報を抽出できるのか,具体的な方法論を伴わずに期待だけが先行している状況である.そして近い将来にはSNPだけではやはり駄目で,実はプロテオームが重要なのだということになるのではないだろうか.
 このようにゲノム研究では次々と新しい実験技術が開発され,ますます大量かつ多様なデータが蓄積されつつある.もはや一つの実験技術あるいは一種類のデータが,ゲノムから有用性を見いだすことにおいて劇的な変化をもたらすとは考えられない.それを可能にするのはバイオインフォマティクス(生命情報学),すなわち生命を情報のシステムとして統合的に理解する学問分野である.バイオインフォマティクスは単にデータベースや大量データ処理といった情報処理技術だけでなく,もっと重要な新しい概念を提供する.生命のはたらきを分子や遺伝子といった個々の部品に還元するのではなく,相互作用システムのはたらきとして理解する概念である.この概念を医学に適用するなら,ある疾患に関与する遺伝子を何百個見つけても不十分であり,それらの遺伝子および遺伝子産物がどのような相互作用ネットワークを形成し,またそのネットワークが環境とどのような相互作用をしているかを明らかにする必要がある.本特集では新しい医療への可能性を持つバイオインフォマティクスを紹介する.

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