序文
   

 
読者の皆さんは,ドラッグデリバリーシステム(Drug Delivery System:DDS)という言葉にどういうイメージをお持ちであろうか? drug=薬物=治療,delivery=送達=宅配便という先入観をもち,DDSが薬物治療を目的とした薬物送達のための技術,方法論であると,頭に思い浮かべる方がほとんどであろう.なぜなら,薬学書籍コーナー以外のところで,DDSの本を目にすることはこれまでにはない.
「drug」という言葉の意味を英英辞典で調べてみると,“Substance used for the treatment or prevention of disease(病気の治療,予防に用いられる物質)”とか“Substance taken for the effects it produces(生じる効能,効き目のためにとられる物質)”と記載されている.これからわかるように,「drug」とは,特に,治療をめざした物質に限定されているわけではない.つまり,DDSとは,投与(送達)方法や形態を工夫し,物質(drug)の体内での動きを精密にコントロールする技術・方法論である.これによって,作用発現部位に望ましい濃度―時間パターンのもとに選択的に送り込み,結果として最高の生物効果を得ることを目的とした物質の投与(宅配)に関する一般性の高い基本概念である.  本書を編集した1つの動機は,これまでの基礎,応用研究の発展の経緯から,薬物治療のための技術,方法論であると考えられてきたDDSが,実は,基礎生物医学あるいはその関連応用分野,さらには再生医療などの先進医療をも含んだ広い研究開発に必要不可欠な基盤技術であることを読者に理解してもらえれば,ということであった.最終目的が何であれ,水溶液中あるいは体内で不安定かつ作用部位の特異性もないdrug(物質)を利用する限り,DDSの技術・方法論がなければ,その効能,効き目を期待することはできない.
 本書は,DDSを薬物治療の基盤となる技術体系として位置づけたこれまでの本とは趣が大きく異なる.その理由は,DDSが物質(drug)の生物効果を最大限に発揮させるための普遍的な基盤技術であるため,drugを扱っているあらゆる研究分野に適用できるからである.そのため,薬学だけではなく,基礎医学,生物学,臨床医歯学,工学などのバックグランドをもち,現時点で考えうる最も優れた執筆者にお願いして,それぞれの研究分野における最先端の研究成果・技術の現状と動向を執筆していただいた.その内容は予想通り多岐にわたってはいるが,端々に執筆者のDDSに対する期待と夢が感じられ,読者のDDSに対する新たなイメージ作りに役立つところが多いだろうというのが編集を終えた私の感想である.まさに,眼光紙背に徹する,という意気込みで読んでいくと,それぞれの執筆者が秘に温めているアイデアと分野の違いを超えたDDS概念の統一性が少しは見えてくるかもしれない.
 DDSは,薬物治療を目標とした研究開発だけにとどまらず,生物医学研究,先端医療のための最先端の基盤技術である.日ごろからdrugの生物効果を最大限に発揮させたいと考えている読者に,そのために必要な材料と基礎要素技術,生物医学研究および予防,診断医学,再生医療,薬物・遺伝子治療への係わり合いなどについて理解していただき,それを自分の研究・開発に生かしていただきたい.そのための助けとなれば,というのが本書を編集したもう1つの動機である.しかしながら,紙面の都合もあり,説明が不十分となっているところも多い.これについては巻末につけた資料と関連研究機関ホームページ情報を参考にしていただきたい.典型的な学際領域であるDDSは,既に薬剤学を超えて多くの分野の先端科学技術を巻き込んだ形で展開してきているが,まだまだ新たな研究分野を巻き込む余地を残している.また,得られたDDS概念をそれぞれの研究分野へ再び還元することにより実質的な学際融合領域の創製も期待できるであろう.
 本書が,DDSと種々の研究領域との接点の理解,DDS概念の導入が必要な研究分野の発掘,さらには読者とのDDSと係わりの新たな発見などに少しでも役立つことを願ってやまない.最後になってしまったが,本書の趣旨を理解し,貴重な時間を割いて執筆していただいた諸氏に心よりお礼を申し上げる.
 
京都大学再生医科学研究所教授 田畑泰彦