序文
 

 多細胞生物において,細胞死は種々の生命現象および病理的な現象に関わっている。細胞死の分子レベルでの研究はアポトーシスを中心に行われてきたが,近年,哺乳動物細胞の死には遺伝子で制御された多様な機構が存在することが知られるようになり,注目を集めている。最近,これらの多様な細胞死機構をまとめるべく雑誌「Cell Death Differentiation」で取り上げられているが,この総説は個人的な見解として満足できる形になっていない。本企画の前半では,その問題点を指摘しながら多様な細胞死機構をどうまとめるべきか,われわれなりの考え方を述べており,有用なプラットフォームとなっているものと信じている。
 非アポトーシス型細胞死機構の中で注目されているものにネクロプトーシス(necroptosis)とオートファジック細胞死(autophagic cell death)がある。いずれも生理的な役割は今のところ明確でない。また,オートファジック細胞死に関しては研究者の間でも捉え方に本質的な違いがある。元来,発生期のプログラム細胞死の起こる領域で観察される細胞死の一形態として,その形態的特徴から提唱されたもので,つまり「オートファジーの活性化を伴う細胞死」ということである。ただ,この中には少なくとも2種類の細胞死が考えられる。1つはオートファジーが細胞死機構に関わっているもの,もう1つは細胞死に関与するのではなく,むしろ細胞の生のためのプロセスを伴ったものである。これらを厳密に区別しないでオートファジック細胞死を語ることは無用な混乱を招くものである。本特集では,その辺りを触れていただくべくオートファジーに依存した細胞死系の項を設けた。
 私のようにバックグラウンドが生物学であるものには,細胞死は「生」の対比的な現象であり,研究対象そのものとして興味をもつが,細胞死研究の1つの出口は言うまでもなく細胞死が関与する疾患の治療をめざした創薬開発であろう。アポトーシス研究が始まった1990年頃には,細胞死関連疾患にはアポトーシスがメインに関与するという誤解(錯覚あるいは期待)により,アポトーシス研究に対し疾患治療という観点から大きな希望が寄せられたが,研究が進むにつれ,実際にはアポトーシスが関与する疾患は意外に少ないことがわかってきた。細胞死が関連した疾患として,梗塞,神経変性疾患や糖尿病など多数知られているが,そこにアポトーシス以外の機構が関与することが明らかであるものの,実際に関わる細胞死機構の詳細,あるいは一部でも明らかになっているものは意外と少ないことを認めざるを得ない。今回のレビューにおいてもいくつかの疾患について最近の動向を書いていただいているが,そのことを強く実感されるのではないだろうか。特に分子標的薬をベースにし,これらの疾患治療をめざす場合,やはりそこに関わる細胞死機構を真摯に調べ上げ,明らかにすることが先決である。また,1つの疾患を取り上げても,複数の細胞死機構が1つの細胞内で並列的に関わっている可能性があり,また傷害を受けた組織内の別の細胞では別の細胞死機構が活性化されている可能性もあり,疾患に関わる細胞死というものは,その実体を把握するにはあまりにも複雑な系なのかも知れない。疾患に関与する細胞死機構が知られている数少ない例として,心筋梗塞や脳梗塞などでみられる虚血再灌流傷害を挙げることができる。虚血再灌流傷害は,シクロフィリンD依存的なミトコンドリア膜透過性遷移を介したネクローシスが関与することを,われわれはシクロフィリンD(ppif−/−)欠損マウスを用い実験的に示した。シクロフィリンD欠損マウスのように細胞死機構に関与する因子の欠損マウスが作製されると,この細胞死機構が他の疾患にも関与する可能性を検証することが可能になり,その意義は非常に大きいものとなる。実際にシクロフィリンD欠損マウスは種々の疾患モデルで利用され,筋ジストロフィーや多発性硬化症などいくつかの疾患モデル系でその病態に関与していることが報告されている。ネクロプトーシスに関しては,関与因子RIP3を欠損したマウスが作製されており,同様の目的に利用が可能である。さらに別の細胞死機構を欠損したマウスが作製されれば,疾患の理解もさらに深まると思われる。
 アポトーシスが関与する疾患の治療薬候補として,当初カスパーゼ阻害剤が有望視され多くの労力が払われてきた。しかし,カスパーゼ阻害剤はアポトーシスのシグナル伝達の下流を止めるものであり,細胞死そのものを抑制できないと言われてきたが,一方で下流のカスパーゼであるcaspase3/7を欠損した細胞では,アポトーシスの上流の活性化,つまりシトクロムcのミトコンドリアからの遊離も抑制されているという報告があり,ポジティブフィードバックループの存在が示唆されている。そうだとすればカスパーゼ阻害剤がアポトーシスが関与する疾患で有効となる可能性がある。また,アポトーシスの重要な制御分子であるBcl-2ファミリータンパクの中でアポトーシス抑制因子Bcl-2は,その因子の発見経緯からもわかるようにB細胞腫瘍にダイレクトに関わっているが,他の上皮性腫瘍にも関与していることが示唆されている。それゆえBcl-2がそれらのがん治療の標的となると考えられ,ABT737で牽引されたABTシリーズが作製されてきた。特に最近Bcl-xLには働かずBcl-2を特異的に抑制するABT199が発表され,これにより血小板減少という副作用が回避でき,ABT199はがん治療薬としての有効性が期待されている。
 創薬を考えた時に,1つの方向性は上記のような特定の関与分子をターゲットにした分子標的薬の開発であるが,別のストラテジーとして,複数あるいはより多数の因子に影響を及ぼすことで総合的に治療に結びつけるというやり方が可能であり,その例としてmiRNAやHDAC阻害剤などの利用が想定される。今回は,後者についてHDAC阻害剤の有用性などについての項を設けた。また,幸いなことに杭田先生に専門の分野から現在の細胞死関連標的薬の現状についてまとめていただくことができ,細胞死関連標的薬の現状を理解するための良い機会となったのではないかと思っている。
 本企画では,上記のテーマについて各分野で活躍中の先生方に執筆いただくことができ,この場を借りてお礼を申し上げたい。最後にこの特集が,細胞死研究をめざす若い研究者や将来疾患治療へと発展させようとする研究者の方々のお役に立つことを願っている。

大阪大学大学院医学系研究科遺伝医学講座遺伝子学教授
辻本賀英